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ひもろぎ逍遥

奉射祭と「子(ね)の日の松」



奉射祭

「子の日の松」




今夜はRKBラジオの「古代の福岡を歩く」は志賀海神社のレポートがあっていました。
私の出演ではないですよ。

ラジオを持って来て聞こうと思ったけど、ラジコで聞けるじゃん、と思い出しまして。
昨年はパソコンでラジコが上手く聞けなかったのですが、今日はばっちり。
ということは、全国でリアルタイムで聞けるんですね。


来週、1月13日(日)9時から志賀海神社で奉射祭(ほしゃさい)があるのですが、その関連行事の説明があっていました。






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射手士が沖津宮で禊祓いをし、ガラモを潜って採る話があっていました。

新参がガラモを採るのですが、ガラモを採っても長老が「違う」と言い、何度か潜ってようやく「それだ」というと、それを沖津宮に奉納して位を貰うそうです。

それから中津宮に行って「まいのうのきし ひめまつや」という「舞能の歌」を歌います。

奉射祭の由来は景行天皇の御代に阿曇百足(ももたり)が八人の若者と共に土蜘蛛を討伐したことによるものだそうです。






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これは2016年の奉射祭のようすです。的が意外に遠いので驚きました。






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で、思い出したのですが、昨年、バスハイクで参拝した時、絵巻について尋ねました。

絵巻の一番上に松が三本描かれているように見えるのですが、確認できないので、それを伺ったのです。

その由来は上に書いた「舞能の岸 姫松や」のことではないかと言われました。

「舞能の岸」とは先日投稿した志賀島の勝馬にある浜です。
沖津宮に向かって左は「下馬ケ浜」(神功皇后が馬から下りた所)右は「舞能ケ浜」(神功皇后が舞を奉納した所)といいます。

これも江戸時代の書物を手に何年か前にお尋ねした内容でした。

で、聞いたとき、高良山の「子(ね)の日の松」(子の日に松を三本植える)の行事のルーツではないかと思ったのです。

高良の神が小松を植えたのが始まりとされているのですが、玉垂命が安曇磯良と分かった今、志賀島の沖津宮の縁起が高良山に持ち込まれたのだと確信したのです。







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(舞能ケ浜から沖津宮を見る。射手士は海を渡って禊をする)

この舞能ケ浜は「御手洗(みたらい)」「日向(ひむか)」とも呼ぶそうです。
大戸、小戸がある話も書きましたね。
海流によって泡が立つ所だそうです。

イザナギ尊がここでミソギをして神々を生んだ話も伝わっている訳で、ここがあの神話の原点だと私は確信していますが、神職が「各地にもいろいろありますので」と謙虚に言われるようすは本物ならではの表現だなと思ったのでした。


そうそう、江戸時代の志賀島の本の話、歴史カフェでする予定ですが、まだまだ準備に取り掛かれないでいます。今やっていることを仕上げてからご案内しますね。



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by lunabura | 2019-01-05 21:55 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Comments(0)

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