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ひもろぎ逍遥

三種の神器の行方


三種の神器の行方


仲哀天皇が崩御したあと、三種の神器はどうなったのでしょうか。

これについて考えたこともありませんでしたが、『高良玉垂宮神秘書』にはこの行方が書いてあります。第1条に書かれているのですが、これは人物の書き換えが行われているので、分析して得たものは、
  剣⇒神功皇后
  鏡⇒武内宿禰
  八尺瓊勾玉⇒安曇磯良
です。三人で分け合って持っていたのです。

神功皇后が剣を預かるのは「なるほど」という感じですね。








三種の神器の行方_c0222861_19383983.jpg

磯良が勾玉を預かると干珠満珠と合わせて三つの珠になります。

この三つの玉が合体した霊力が「山上の一火」となって、高良山の上宮に鎮座し、毎日その「山上一火」の霊力がそこから出て、八葉の石畳などを巡って毎日照らしたそうです。

「もしこの火が消えることがあれば、当山は滅亡する。二、三日照らさなければ必ず苦節が来る。」
とまで書かれています。
この八尺瓊勾玉はのちに神功皇后が皇居に行く時に返しています。



ところが、八咫鏡は武内宿禰が預かりましたが、自分の子供である日往子(ひゆきこ)に伝世してしまいました。

ですから、麓の大祝家に祀られました。
日往子の墓が祇園山古墳と言われています。

八咫鏡の霊力は「麓の一火」となり、麓の集落や祇園山古墳を巡ったといいます。

こうして、高良山については「上の高良は玉垂」(磯良)、「下の高良は武内宿禰」と言われるようになったのです。




※昨夜は十時ごろからエキサイトがアクセス不能になりました。
2時間ほどで解決したようです。
投稿しようとしたブログも大した内容でなかったので、ボツにしましたよ♪

20190110




三種の神器の行方_c0222861_15184581.gif

Commented by たぬき at 2019-01-18 15:09 x
神功皇后の時代の武内宿根。とは、武内宿根こと、武内大田根の曾孫?の日向襲津彦王。

神功皇后と通じて成した実子がホムタ御子。所謂、応神天皇に当たりますが、
史実(伝承)ではホムタ御子は七歳で死亡します。
三韓征伐で得た莫大な利権をふいにする一大事です。
そこで、豊来入彦(豊彦/宇佐王族)の子孫、関東の国造家に年恰好が同じ竹葉瀬君を急遽迎え入れて養子と成し(対外的には)何事もなかった様に偽装工作をしました。
この宇佐族の竹葉瀬君が成長して大王となったのが所謂、応神天皇になります。
後にその経緯を聞いた宇佐神宮大変喜んで、急ぎ神宮に社殿を造営して応神天皇こと、竹葉瀬大王を奉祭しました。
宇佐神宮に応神天皇がお祀りされた理由です。
by lunabura | 2019-01-10 19:39 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(1)

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