2019年 03月 06日
持統天皇と天山2 三女神は広島から飛来した 岩蔵の天山神社
三女神は広島から飛来した
岩蔵の天山神社

佐賀県の小京都、小城市にある岩蔵天山神社。
前回から、この始まりを読んでいる。
不思議な光が松にとどまり、水が湧き出し、七歳の童女が東海から飛んできた神霊の託宣(たくせん)伝えたのが702年のことだった。
『小城郡誌』の続きを読もう。
<それから三年後、慶雲二年(705)に芸州厳島(安芸の宮島)の人が当地にやってきて尋ねた。
「近頃、宮島から清らかな光が輝き起こって、西の海の方に飛び去りました。
それからずいぶん経ちますが、どこに飛んで行ったのか分かりません。不思議に思ってその光が留まった所を尋ねると、当地に留まったのが分かりました。
何か不思議なことはありませんでしたか」と。
里人が、奇瑞が起こって託宣が降りた話をすると、社人は大変驚き、宮島には帰らず、永らくここにとどまって社務をつかさどっているというのである。現在、馬場に宮島姓が多いのはこのためである。
最初に松本に神霊が影向した時には、はるか南の松林からも清らかな光が見えたので、小さな石祠を建てて、下の宮というようになった。
それから後、祭の時には神輿(みこし)をそこまで降すといい、今は南松と称し、小祠がある。
同年の冬10月、国司が右の奇瑞を帝都に上奏して天山大神宮と勅許をえて、北山は天山岳と名付けた。>
こうして岩蔵の松に飛んできた光は広島の宮島から飛んできたものだということが三年後に分かった。その話を都に上奏したのち、北山は天山岳という名になった。
すると、天山という山名は705年以降の呼称ということになる。天山と名付けた由来は分からない。が、帝都と無縁のものではないことになる。

これは境内の右手の道路から天山方面を撮ったものだ。
帝都では誰が天皇だったかというと、文武天皇だった。文武天皇は14歳の若さで即位したので、持統太上天皇が院政を敷いていたという。
持統太上天皇は大宝2年12月22年(703)に崩御しているので、当社の話はこれを挟んだ前後の年のものとなる。
当社の三女神は宮島から飛来してきたもので、宗像からではなかった。
◆歴史カフェ福津◆
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