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ひもろぎ逍遥

持統天皇と天山6 黒尾大明神とは藤原四兄弟の一人、房前だった 



持統天皇と天山6 

黒尾大明神とは藤原四兄弟の一人、房前だった 




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『東松浦郡史』(大正14年)の広瀬の天山宮に「黒尾大明神」という末社のことが書かれている。

そこには、藤原安弘があの房前(ふささき)公の諱(いみな)だ、と書かれていた(驚愕)
まさかのビッグネームの登場だ。

安弘とは、のちに内大臣になる藤原房前のことだったのだ。藤原房前の父は藤原不比等。その父は藤原鎌足だ。房前は藤原四兄弟の一人なのである。奈良ばかりの人かと思ったら、公に出てこない歴史が佐賀にあったのである。


「東松浦郡史」を訳そう。
黒尾大明神
 右は末社である。参議正三位民部内大臣藤原安弘がこの神で、天山宮の社司の祖である。すなわち房前公の諱(生前の実名)である。藤原姓の祖とする神である。

天平神護元年(765年)(称徳天皇の)勅宣をたまわって、安弘公を黒尾大明神とした。>

藤原房前は681年生まれ、737年に56歳で薨去。

房前がここに天御中主命を勧請した701年は21歳の時になる。

この年、父・不比等は43歳。文武天皇は19歳。

持統太上天皇は57歳。

房前はその直前に対馬で異国人と戦って勝利したことから、天山に関わった。

天山神社の由緒には「勅」という字がたびたび出てくるが、これは「天皇の命令」を意味する。

天山神社の三宮は、文武天皇というより、持統天皇がダイレクトに指示して勧請しているのである。

持統天皇との連絡が奈良~佐賀でダイレクトに通じている謎がここで一つ解けた。天皇と大臣と子という緊密な連絡網があったのである。

その天皇が与えた褒美が小城市晴気(はるけ)という土地だ。当初は険しい山中に房前は天御中主を祀った。そこには磐座があるという。


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しかし、険しすぎて300年後にラインに乗って来たが、チェリーが指摘するように意図してそのライン上に遷ったといえる。

始まりは明星山と岩蔵、広瀬のラインだ。明星山は「ひめちゃご」で散々調べた山だ。


この「明星山」(みょうじょうざん)について、前回は少々フライングをして、込み入った内容を書いた。

昨日あらゆるピースが繋がったので、説明不足を承知しながら、その結論を書いた。多分、十年来の読者しか分からない世界だと思いながら。

私自身、二冊の本の原稿をしたためたので、ようやく到達した内容だ。昨日の数行を理解してもらうには、不親切だなと思いつつ、自分にとって必要なメモだった。


さて、この話の肝要な部分をくじらがコメントしてくれている。

<新唐書に記述がある、『其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。』
( 王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。)
矢野一貞は更に明星山の史跡につき、次のように述べている。
「上古、天津赤星が此の要害に拠る。

武内大臣久しく此山中にて西海を監護す。
筑紫君も代々当山に処る。」(ひもろぎ逍遥)

このふたつの文を見比べるに、明星山に天御中主を初代とし、
筑紫氏に至る、筑紫城があったのでは? という想いを抑えることが
出来ずに困っています。>

さて、磐井の姓については、筑紫氏という説が見られるが、筑紫氏は意外に新しい。多分筑紫君という語から現代の人が想像したのだと思う。

私が磐井の姓が阿倍だという根拠は『福岡県神社誌』に「阿倍」と書かれていたことによるものだ。

『新唐書』に書かれた倭王の姓が阿毎とある。

中国語では阿毎(アバイ)は阿倍(アバイ)と同じ発音になる。

日本語だと阿倍(あべ)は阿部(あべ)と同じ発音になる。
アメはアベの事だと結論づけた。

阿部氏は安曇族である。
宮地嶽神社は阿部氏だが、それは「阿曇の部」と言う意味だと伺った。


その安曇族は志賀島の沖津宮に天御中主を祀る。

一方、佐賀の天山神社はラインから見て明星山の神を引いている。明星山の神は未詳だが、佐賀の天山神社が当初、天御中主を祀っていたのだから、明星山には天御中主が祀られていたと推定したのである。



話を戻すが、小城市(おぎ)の「晴気」(はるけ)という所は天皇家がその価値を知っていて下賜した所である。

晴気にはどんな価値があったのか。

推測に過ぎないが、おそらく鉱物資源や武器工房があったのではないかと考えた。鉄、銅、金、銀あるいは水銀か。祀られる神が分かればある程度推測できるかもしれない。



20180310 初稿

20190311 編集して再掲




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Commented by くじら at 2019-03-13 07:47
>中国語では阿毎(アバイ)は阿倍(アバイ)と同じ発音になる。

永年の謎が解けてきた想いがいたします。
素晴らしい偉業を成し遂げられたルナさまに
こころから敬意を表します (^ ^)
Commented by かえる at 2019-03-13 08:19
すごいですね。
今度ご一緒に明星山に登りましょう!
Commented by lunabura at 2019-03-13 22:45
くじらさん、これで多くの疑問が解消するんではないかと思っています。

かえるさん、是非お願いします。
子供のころ登りたくて良く地図を広げていたことを思い出しましたよ。
Commented by チェリー at 2019-03-17 20:54
安曇比羅夫と阿倍比羅夫は同じ人なのでしょうか?別の人なのでしょうか?
Commented by lunabura at 2019-03-17 20:58
前軍と後軍のそれぞれの大将ですから、別人です。
by lunabura | 2019-03-11 20:54 | 「持統天皇と天山」 | Comments(5)

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