2019年 03月 23日
石人山古墳と弘化谷古墳の素敵な散歩道
石人山古墳と弘化谷古墳の素敵な散歩道
昨日のバスハイクは八女(やめ)に行きましたよ!
午前中は八女古墳群の中でも代表的な石人山古墳、弘化谷古墳、岩戸山古墳、そしておまけに予定外の4号墳に行きました。
石人山古墳と弘化谷古墳(こうかだに)は八女郡広川町にあります。
かつてナビで調べ調べ行って、駐車場にも困ったのですが、まさかの至近距離。
しかも「こふんピア広川」に駐車すれば良く、出土品などを見学したあとに古墳巡りすれば、歩いて30分ほどのそれは素敵な散歩道でした。
資料館に予約をすれば展示品の説明を受けられるそうですが、HPに書かれていなかったので知らずに残念でした。
でも、古墳巡りはガイドをしていただけました。
何しろ団体なので、道を間違うと大変だったので、とても助かりました。

「こふんピア広川」は資料館ですが、無料なのにこんなに沢山の資料をお土産にいただきましたよ。
ファイルには装飾古墳画が載っているし、絵葉書までいただきました。
特に、石人山古墳の家形石棺の絵葉書には直弧文がくっきりと。
現地でも撮影はもちろん出来るのですが、扉の手前から写すのでこんなに鮮明には取れません。
あとで観察するのにはもってこいです。

さて、資料館の入り口には弘化谷古墳の実物大レプリカがドーンとありました。正面に双脚輪状文が見えますね。
おまけに資料館の中は直弧文が沢山!

こちらは石人山古墳の装飾文様です。
子供たちの作品がみんな直弧文なんです!(^^)!
各地の装飾古墳館ごとに個性的な文様があふれてます。これは面白い。
直弧文、謎杉!
また、絵葉書の一枚に鬼塚2号墳から出土した銀象嵌柄頭(つかがしら)が載っていました。(画像の緑の分)
資料館にも現物があり、写真撮影もOKでしたが、やはり上手く撮れないので、絵葉書に載っているのは有り難い。
刀身は日本刀ほどの長さで、新宮町で見た長~い刀に比べて小振りに思えました。

さて、古墳巡りはこの石人のレプリカの横を通って行きます。
遊歩道と思いきや、すでに石人山古墳の墳丘を登り始めています。
桜の間を抜けて登ると参道の途中に出ました。参道とはすなわち前方後円墳の前方部。
後円部に向かって参拝していく感じがよく分かります。
地元では「石人さんに手を合わせに行こう」という感じで参拝されていたそうです。

石室を守って立つ石人。

そして、巨大な石棺。高さは140cmほどですから、露出していたら人の身長ほどの高さです。
次の弘化谷古墳へは、登って来た道を反対側に降りて行きます。
そこからの方が古墳の全容がよく分かります。

小道に出たら左手に歩いていくとため池がありました。これは周濠という訳ではありません。
ここから長い石段を上ると展望所に。
何々?弘化谷古墳に行くのに坂を登る!!!

振り返ってみると、矢印の石人山古墳が低く見える。
弘化谷古墳は石人山古墳よりも高い所に造られた!

石人山古墳は筑紫君磐井の祖父ぐらいの世代です。
弘化谷古墳は磐井のちょっと後。
石人文化より上に立つように、わざわざ高い所に造られている。
ふむふむ。
現地に立つと気づくことがいろいろありますね。
頂上に立つことができるのも、前回は気づきませんでしたよ。

奥の小山が石人山古墳。
周辺で一番高い所に立ち、石人文化を見下ろす装飾文化。その石室には肥後系の石屋形。
しかも、弘化谷古墳の装飾と石屋形は王塚古墳に似てる。
そして、あの双脚輪状文が重なっている。

これは大きなヒントをくれています。
石人もまた肥後と筑後に多く分布する。
また時代的には
石人山古墳(石人・直弧文)-岩戸山古墳(石人)-弘化谷古墳(装飾・双脚輪状文)
となっていて、
三つの古墳は年代が連続しているのに、大きな隔たりがある。
「装飾古墳」という一括(ひとくく)りでは捉えられない断絶がある。
現地に立つと時代感と地域感が深く理解できますね。
八女の細長い丘陵の上の支配層の変遷。興味深いです。
私たちはこのあと車で15分ほどの岩戸山古墳に向かいました。
20190323
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by lunabura
| 2019-03-23 18:13
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