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ひもろぎ逍遥

日本武尊の足跡 若宮町誌 銅山と遺跡と地名


日本武尊の足跡 

若宮町誌 銅山と遺跡と地名



例の如く、片付けをしていて、ポロリと出て来た資料があった。
それは「若宮町誌」の「第九章 若宮の銅生産遺跡」のコピーだ。

若宮は現在、宮若市。明日、バスハイクで出かける。

資料は出てきても、すぐ行方不明になりがちなので、今日はその一部を写しておこうと思う。


<第一節 史料にみる銅山と遺跡

古代の北九州地区の銅生産については、「豊前国風土記」逸文をはじめ、『三代実録』の規矩郡(規矩郡・きく)の採銅、さらに『延喜式』の銅・鉛の採送などの記録がみられる。

近世においては、『小笠原歴代家譜』に大里銅山の記事、また貝原益軒や伊藤常足などの著書にも産銅記事が目につく。>

規矩(企救)といえば、菊物部がいる所で、大きな銅矛が出土していた。
銅に関しては生産地が特定できるということなので、調査結果などが分かったら面白い。





<列島内における近世の鉱山開発で、銅は十八世紀前半に画期的発展を遂げた。北九州地区においては、古代から近世・近代まで連綿と続いた田川郡香春町の香春岳があげられる。>


<伊藤常足は『太宰管内誌』の「金生郷」で「倭名抄」に鞍手郡金生は加奈布とあり、名義は古に金など出たる負せたるか、此辺小伏村ノ内に小金原と云処もあり、さて鞍手郡金生村有て今は若宮郷ノに入れり」と記している。>
と、「金生」という地名は金を出した所で、その近くには「鉛」という小字も残ると指摘する。
<銅などの非鉄生産地では、銅のほかに鉛や錫が産出されることも多い。

近年それらの金属生産遺跡の検出例も相次いでおり、このような観点から、町内のこれらの金属に関する地名は、すべてとはいえないが古くには非鉄金属生産が行われた可能性も考えられる。>

とある。

「金生」の北西二キロの所にあの「竹原古墳」がある。
また「金生」の北東四キロの所に六ケ岳がある。
明日行く笠置山の千石公園は「金生」に隣接している。
そこに加茂公園もある。賀茂氏は金属加工に長けている。

思えば、弥生時代の銅鏡にしろ、銅矛にしろ、今は青黒い色をしているが、生産した当時は白銅色あるいは黄金色に輝き、それは銅や錫の綿密な計算による配合で生まれた色だ。

弥生時代の銅製品がすべて中国産と考える必要はないと思うのだが。

景行天皇、日本武尊、仲哀天皇、神功皇后と度重なる九州鎮圧は熊襲と言われた金属加工技術を持った一族の制圧が目的ではないか、という思いをさらに強くした。

日本書紀では消されていた神功皇后の帰路は弥生の「銅の道」なのだ。





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ちなみに、金剛山から南に下ると福智山があり、さらに南下すると香春岳に連なる。
梟帥(たける)族や土蜘蛛たちは棲み分けて、山の中で鉱山に従事していた工人集団だったと思う。

景行天皇や日本武尊が戦った相手たちこそ、九州の古層に生きた人たちである。


20190424



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Commented by 伊馬春部の後輩 at 2019-04-25 18:18
こんにちは
最近、遠賀川流域の場所が取り上げられてて興味深いです。特に金剛山、福智山、遠賀川は地元の小、中学校の校歌の主役です。また、福智山への登山ルートとして鳥野神社も馴染みがあります。個人的に、こんごうやま、くもとりやま、ふくちやまという感じで訓読みの山名が多い気がしています。
Commented by lunabura at 2019-04-25 20:44
はじめまして
四社目が鳥野神社でした。素晴らしいお宮ですね。
by lunabura | 2019-04-24 20:57 | 日本武尊 | Comments(2)

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