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ひもろぎ逍遥

日本武尊の足跡 鳥野神社 日本武尊が国見をした


日本武尊の足跡 

鳥野神社 

日本武尊が国見をした



さて、四社目、直方市の御山神社から遠賀川を渡り、同じ直方市の鳥野神社に向かった。



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屏風のように並ぶ福智山山系のうち、馬蹄形の山の右の山の中に鳥野神社がある。









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内が磯地区に公園があり、道路脇に造られた駐車場に車を止めると、道を挟んだ山側に重厚な鳥居があった。










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神額は「福地山」とある。この鳥野神社は福智山の下宮に当たる。



福智山は「福岡県神社誌」によると、
<神代の昔、天尊彦火瓊瓊杵尊の勅願により、猿田彦鈿女の二神に命じて福智山に鎭祭せしめられたり。>
とあり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が猿田彦と天鈿女(あめのうずめ)に命じて神々を祀らせたのが始まりとする。



瓊瓊杵尊の墓は鞍手の六ケ岳にある。瓊瓊杵尊が降臨するときに迎えに来た猿田彦が天鈿女と夫婦になったあと、この福智山に神々を祀らせたのである。



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鳥野神社の祭神は 保食(うけもち)大神、軻遇槌(かぐつち)神、天照大神、応神天皇、月讀大神
となっているので、応神天皇を除いた、四神を祀ったということか。



その後、日本武尊がやって来て勝利祈願をし、凱旋したのちも再び来て、上中下三所神功を創立したという。

また、熊襲を瞰望した地なので国見山とも称すという。

ここで、金剛タケルの存在を知らなければ、何故直方から熊襲を視察できたのか、不審に思っただろう。
日本武尊は金剛山から尺岳、そして鳥野神社と、尾根伝いに移動したと考えられ、金剛タケルはこれら馬蹄形の山壁に囲まれた丘辺りに拠点を構えていたと思われる。

香月文書には
<日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、熊襲の軍を屠った。>とある。

御山神社の陣営は陽動作戦であり、日本武尊は敵状視察を終えて尺岳神社付近に戻って作戦を練り、小狭田彦の手勢を連れて背後から攻めたと思われる。





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さて、次の時代、神功皇后もここに来て戦勝祈願をしている。そして、凱旋すると鳴鏑矢を山上に納め、宿禰に祀らせたという。



武内宿禰は佐賀では日本武尊に同行している。ここでも日本武尊と一緒だったのではないか。

日本武尊が死んだあと、武内宿禰は政務天皇に仕え、仲哀天皇に仕え、神功皇后の道案内をして当社に再び訪れたことになる。



驚いたのは、天武期に筑紫帥栗隈王もまた当社に参拝している点だ。栗隈王の足跡が出てくることはまずはない。「神威」を感じて朝廷に奏上し、天皇の勅命で「西州鎮護の惣社」としている。

この時、鞍手郡粥田などを寄付しているので、先日バスハイクで行った饒速日を祀る天照神社の鎮座する郷は鳥野神社の神領となったことになる。

また、役小角もまた当山で祈っている。

そして、黒田長政は黒田藩の鬼門鎮守とした。

これほどの歴史を重ねる神社を知る事ができたのは、日本武尊の縁であり、この神社を教えてくれた菊如の縁でもある。









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<20190429>
歴史カフェ福津
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by lunabura | 2019-04-29 22:10 | 日本武尊 | Comments(0)

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