2019年 05月 09日
大島伝聞 坂本龍馬が寄港して、なんと…
大島の港からブラブラと旅館に向かう途中、地元の男性に呼び止められた。
大島の歴史を伝えている方だった。
安部宗任が大島に流されて、安倍総理に至るまでの話を聞かせてもらった。
そして、一枚のコピーを渡された。
それは2008年の高知新聞の「龍馬伝異聞珍聞」というコラムだった。
かいつまんで書くと、
龍馬や海援隊が乗った長さ二十五間(45m)、181トンの震天丸は小銃千挺を乗せて長崎を出て下関に向かう途中だった。
機関の調子が悪く、大島に帰港した。
酒屋で鶏料理を注文したが断られ、自分たちで二~三羽手に入れたものの、誰も調理しないので、藤八拳をやって負けた陸奥源二郎がひゃあひゃあ言いながら始末して料理したという。
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藤八拳とは、じゃんけんのようなもので、狐が鉄砲に、鉄砲は庄屋に、庄屋は狐に負けると決め、向かい合ったふたりがいずれかの身振りをして拳をして勝ち負けを決めるものだそうだ。
大島では鶏は産卵のために飼っていて、調理する食文化は無かったそうだ。
各家庭の卵を集めて数十個になると、船に乗って宗像で売っては現金収入としたという。
これでは鶏料理は出されなかったはずだ。
夫にその話をすると、龍馬は最期の日も鶏鍋を食べていたという。
龍馬にとっては鶏料理はソウルフードだったのだろう。
大島にはこの話は伝わっておらず、高知の研究会から新聞記事が送られて、知られることになったそうだ。
20190509