2019年 05月 10日
中国学者からみた邪馬台国の場所1
先程まで、TBSの邪馬台国の番組を見ていました。
奈良の纏向遺跡と佐賀の吉野ケ里遺跡、糸島の平原遺跡を紹介したあと、中国の学者三人に魏志倭人伝を読んでもらって邪馬台国の場所を尋ねるという構成でした。
結論から言うと、三人の学者がそれぞれの研究から、いずれも「邪馬台国は九州にあった」と結論付けていました。
しかも、二人は九州北部に限定。
地形、地名、文化、位階など多岐にわたっての結論です。
私が邪馬台国論争に参加しないのは、三国志の2000字だけ読んでも、用字法や社会的背景を学ばなければ理解できないと思っていたからですが、中国語で書かれた本を中国人の学者が解説してくれたのですから、本当に納得できました。
時間があれば詳細も記録しておきたいのですが、今日はメモ程度に。
吉野ケ里遺跡からたくさんの鉄器、スズリなどが出ていました。
今月のバスハイクで行くので、見逃さないようにチェックしたいと思います。
スズリが発見され始めたのは二年程前からでしょうか。
今では40個も福岡から発見されているそうです。
県外では島根県か鳥取県から一つ発見されているだけだそうです。
卑弥呼が魏と文書をやり取りするのですから、必ず書記官がいて中国語(漢字)で手紙を書いたはずだと、以前書きましたが、それを裏付けるものがどんどん出土して嬉しい限りです。
20190510
この番組の詳細は以下に記録しています。
壱岐の一大国(一支国)の原の辻遺跡の主祭殿跡は、浮嶽から正確に北西(315.0°)になりました。
当時の邪馬台国連合が祭祀線を使っていたとしたら、素敵ですね~
ところで、別件で調査依頼です。
宗像市の八所宮の参道が、朝日に向かって上るようになっているそうです。5月から8月が見頃だそうで、夕日の「光の道」に対応して「朝日の道」で有名になるかもしれません。
で、この時期ということは、夏至ライン上に造られた?と考えたのですが。お時間のある時に調べてもらえますか?
参道の正面から日が昇るのは、5月と8月になるようです。でも、夏至の日でも、7時20分ころには正面に太陽が位置します。
日が出てから1時間20分くらい経過していますが、朝日には違いないと思います。
参道正面に朝日が位置することを意識していた可能性は十分あると思います。
でも、それよりも、もしかして…
ブログにまとめましたので、お暇なときにご覧ください!チェリーの名前をクリックすると開くようにしてあります。
2月23日は平原遺跡で日向峠の朝日が観測され、宮地嶽神社に移動して夕陽を観測する、という話があります。
ちょっと不思議な日付ですね。
八所宮は城山から遷宮したと聞きます。
宮地岳山頂には磐座があって、それを背にして朝日が観測できます。その方向が八所宮とはビックリです。
同じ安曇の祭祀ラインがあるのでしょうか。
また、参道が途中で少し曲がりますが、上部参道と神殿のラインには有意なものは無いのか、気になりました。
それにしても、大発見ですね。
ありがとうございます。









