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ひもろぎ逍遥

大伴旅人は何故、対馬の琴を藤原房前に贈ったのか




万葉集の810番から812番に大伴旅人藤原房前(ふささき)に琴を贈った話が載っている。

対馬の桐で出来た小琴を手に入れて藤原房前に贈るとき、旅人はわざわざ夢物語に仕立てた話を手紙に記した。


琴の精霊が乙女の姿で夢に現れて言った。

自分は対馬の高い山で育った桐から出来た琴で、「常に君子の左にある琴」になりたいと、願って歌を詠んだ。その歌は

810番 
如何にあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
    いかにあらむ ひのときにかも こえしらむ ひとのひざのうえ わがまくらかむ
  (どんな時にか どんな日にか 音楽が分かる方の 膝の上を 枕にできましょうか)
という。

811番
言問はぬ樹にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
 (物言わぬ 樹ではあっても うるわしき方の 手馴れの琴に なるでしょう)

旅人がそう応えると、乙女は「幸甚幸甚」と喜んだ。
しばらくして目が覚めた。

乙女の歌はもちろん旅人の創作だ。

こんな琴をあなたに進呈したい、と手紙を添えて、旅人は都にいた房前に贈った。

812番 
事問はぬ木にもありともわが夫子が手馴れの御琴土に置かめやも
    こととはぬ きにもありとも わがせこが てなれのみこと つちにおかめやも
  (もの言わぬ 木であっても わが背子の 手馴れの御琴は 地に置けましょうか)

と、房前(ふささき)は喜んで返事をした。

この時、旅人は大宰帥(だざいのそち)で65歳。房前は49歳だった。

房前。

そう、広瀬天山神社に神として祀られている安弘(康弘)のことだ。
房前は十代の時に、対馬に侵入した異国人討伐に赴いて勝利しているのだ。

旅人はその功績を覚えていて、対馬の琴に出会った時、房前を思い出した。
だから、琴を乙女に擬人化させて、手の込んだ物語を作って贈ったのだ。

房前が対馬に行ったのは、かれこれ30年も前の話だった。
誰もが忘れた話を旅人が覚えてくれていた。

房前はどれほど喜んだことか。
「お慕いする心は百倍です」と返事をしたためた。

琴といえば、香椎宮が琴の宮だ。
香椎宮や大宰府には珍しい琴も集まったことだろう。


で、タイトルの
大伴旅人は何故対馬の琴を房前に贈ったのか?
それは、海を渡って対馬で戦った若き頃の房前の業績を知っていたからだ。

自らは隼人の乱を鎮める総大将になって戦った苦い経験があったからこそ、房前の業績を覚えていて、評価した。

武人同士が知る思いだ。


この琴を贈ったのは天平元年(729)。

「対馬」の意味は忘れ去れ、現代人で、これを解釈に加える人はいないだろう。
房前が対馬で戦った話は、私とこのブログの読者しか知らないと思う。


<20190603>

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by lunabura | 2019-06-03 20:42 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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