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ひもろぎ逍遥

大伴旅人 夜須野の独り酒 長屋王の変は朗報だったかもしれない 



大伴旅人 夜須野の独り酒 

長屋王の変は朗報だったかもしれない 




旅人が香椎廟に参拝したのは神亀5年(728)の冬のことだ。その翌年早々、2月に長屋王の変が起きる。時に旅人は65歳。

旅人は大宰府に赴任していたので、これについては都からの知らせで知ったのだろう。
この時、太宰大貮には丹治県守(たぢひのあがたもり)が赴任していた。

この丹治県守がこの乱を受けて臨時の参議に任命され、翌月の3月には従三位になって公卿に列することになった。

今日は大伴旅人と丹治県守と長屋王の関係についてである。


旅人はこの乱の前に、県守と一緒に筑前の夜須(やす)で狩でもして飲もう、と約束していたらしい。

夜須と言えば、神功皇后が羽白熊鷲を討伐して「心安らかになった」と言ったことから「夜須」と呼ぶようになったという所だ。神社なら松峡八幡宮だ。

旅人は飲む約束にかこつけて、出世した丹治県守に歌を贈っている。

 大宰帥大伴卿、大貮丹比(たぢひの)縣守(あがたもりの)卿(まへつきみ)の民部卿に選任するに贈る歌一首
555番
君がため 醸みし待酒 安の野に 独りや飲まむ 友無しにして
きみがため かみしまちざけ やすののに ひとりやのまむ ともなしにして

(君のために作った待酒を 夜須の野で独りで飲むのか 友もいなくて)

大貮のためにわざわざ良い酒を準備していたのに、出世して都に戻るのを拗ねたように演じて祝福する歌か、と思ったが、県守を調べていくと、趣が変わって来た。

ウィキペディアによると、

丹治県守は720年に征蝦夷持節大将軍になっている。
同年に旅人は征隼人持節大将軍になっているので、当初は同じように戦いの経験を分かち合う関係かと思った。

ところが、この県守の娘に丹治郎女(たじひのいらつめ)がいる。
丹治郎女とは旅人のもう一人の妻の名なのだ。

この丹治郎女が旅人の妻かどうかは特定されていないそうだが、旅人と県守は親しいし、身分も釣り合うので、他の存在を無理に探す必要もないのではないかと思われる。

よって、旅人の妻の丹治郎女とは、丹治県守の娘(丹治郎女)である、という仮説を前提にして話を進めていく。

この丹治郎女が大伴家持の母である。家持は11歳で父に付いて大宰府に来たという。

丹治郎女は家持を生んだあと、書持、留女之女郎を生んでいる。

下の子供たちはまだ幼子なので、さすがに大宰府まで付いては行けず、実家で子育てをしていたのだろう。長男の家持だけは大宰府に行かせた。

旅人から見れば、丹治県守とは部下であり、義理の父だった。
心強い友でもあったので、せっかく良い酒があるのに「独りや飲まむ 友無しにして」と遠慮せずに愚痴っても構わなかった。


さて、ここで、もう一人、長屋王について考えよう。

「長屋王の変」は当時左大臣だった長屋王が藤原房前らと対立していた時、「謀反を計画している」という告発を受けて自害に追い込まれた事件だ。

この長屋王は皇族だったが、遡ると宗形徳善に行きつく。

宗形徳善の娘の尼子郎(あまこのいらつめ)が天武天皇と結婚して高市皇子が生まれた。徳善は娘と孫の支援をするために、筑前から奈良に出ている。

高市皇子は天皇の長男だから、天皇になる可能性があったが、母の身分が低く「卑母」とされ、太政大臣として臣下に留まった。

この高市皇子の子供が長屋王なのである。長屋王が、天武天皇の孫でありながら、左大臣止まりだったのも、その出自が取り沙汰された印象がぬぐえない。

長屋王の業績のリストを見ると、実務に長けていて、まっすぐな性格だったようで、これでは豪族たちに煙たがれただろうなと思われた。

これらが、長屋王を追い詰めて自害にまで至ったのだろう。

が、この729年の長屋王の変を遡ること7年前に、多治比三宅麻呂という人物が謀反の誣告罪で流罪となった事件が起きていた。

この具体的内容が分からないのだが、丹治郎女の一族の中に、長屋王によって流罪となった人物が出たようなのだ。(出典が分からず、憶測となる)

そうすると、大伴旅人と妻の丹治郎女にとって、長屋王とは身内を陥れた存在となる。


都に残った丹治郎女が筑紫にいる旅人に送った手紙の中にその件が書かれていたのではないかと思われた。旅人と妻は長屋王の変を聞いて溜飲を下げたのかもしれない。


そうすると、長屋王の政敵である藤原房前に、旅人が「対馬の琴」をわざわざ贈った件についても、新たな意味付けが生まれる。

単に武人同士の共感の歌ではなく、政敵の長屋王の死に謝す思いが隠されていたのかもしれない。



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by lunabura | 2019-06-27 20:54 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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