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ひもろぎ逍遥

柿本人麻呂 遠賀川 島門を通過す


柿本人麻呂 

遠賀川 島門を通過す







柿本人麻呂
が糸島の引津で「なのりその花」を詠んだ話は以前書いたが、筑紫に海路でやって来て、遠賀川河口域にある島門を見て歌を残していた。


柿本朝臣人麿、筑紫国に下りし時、海路にて作る歌二首

303番
名くはしき 稲見の海の 沖つ波 千重に隠りぬ 大和島根は
なくわしき いなみのうみの おきつなみ ちえにかくりぬ やまとしまねは

(名高い 稲見の海の 沖の波に 千重に隠れてしまった 島のように見える大和の山々は)

304番
大王の 遠の朝廷と あり通ふ 島門見れば 神代し思ほゆ
おおきみの とおのみかどと ありかよう しまとをみれば かみよしおもほゆ

(大王の 遠の朝廷として 人々が常に通う 島門を見ると 神代がしのばれる)

二首目に「島門」を発見!

「島門」については一般に「瀬戸内海の島々」などと解釈されているようだが、序に「筑紫国に下る」、304番に「遠の朝廷」(都府楼・大宰府)とあるので、これは遠賀川河口にあった「島門」を見た歌だと思われる。

拙著「神功皇后伝承を歩く上巻」p38に記しているが、河口付近には「猪熊島」と「島津島」という二つの島が門のようにそびえていて、これを「島門」と呼んでいたのである。(『水巻昔ばなし』(柴田貞志)より引用)

この「島門」が「島津」に変化する。

二つの歌の情景を考えると、303番では、奈良を離れて瀬戸内海を航行すると、奈良の山嶺が水平線の向こうに遠ざかっていき、兵庫辺りで波に消されるようすが歌われている。

304番では、瀬戸内海を過ぎていよいよ筑紫国に入って遠賀川に入る時、二つの島がまるで筑紫の門のように見えるという歌だ。海流の変化の厳しい関門海峡、そして響灘という初めての外海を通ったあとに見る島門は格別な意味を持っていただろう。


いよいよこの先は「遠の朝廷」への道のりだ。

島門を抜けると右手に鬼津岬があったので、その陰に船は入港したのではないか。


陸路なら鞍手から宗像へ抜ける神功皇后ルートが楽だったろう。秀吉も同じルートを通った。
宗像~福津を通る、坂上郎女の名児山ルートも女性が通れるほどなので、良かったかも。

あるいは長崎街道の原形ルートがあったかもしれない。

遠賀川流域はニニギ、ニギハヤヒ、アメノオシホミミ、三女神などなどが山々に降臨した神話を伝えている。神武天皇や日本武尊や神功皇后が通ったのもこの島門だ。

人麻呂のいう「神代」とはこのような神話が花咲く遠賀川を詠んだものと考えられる。
筑紫国に入る高揚感が良く伝わってくる歌だ。

ところで、人麻呂自身の生没年は不明で、筑紫国に下ったのもいつなのか、序には記されていない。
これから先、人麻呂の歌に何処かで出会えば、また考察もできる。楽しみにしよう。


<20190630>






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by lunabura | 2019-06-30 20:40 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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