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ひもろぎ逍遥

六ケ岳と沖ノ島と宇佐、二つの相似形から思い出した 大伴旅人の隼人鎮圧


六ケ岳と沖ノ島と宇佐、

二つの相似形から思い出した 大伴旅人の隼人鎮圧





2019年6月29日付の西日本新聞に「こんなところに沖ノ島③」が掲載されていた。

あの六嶽神社の拝殿にある三女神の降臨図が出ていた。
フォトショかなにかで強調されて、薄くなっていた線がかなり再現されて、克明に。

そして、驚いたのは宮若市から見た六ケ岳の姿が沖ノ島そっくりだということだ。





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確かに二つの緩やかな峰がある島影と似ている。沖津宮の姿は上の写真より、陸からの方が二つのピークが際立っている。

伝承的には風土記逸文から、三女神は六ケ岳に降臨して辺津宮、中津宮、沖津宮にそれぞれ遷ったとあるので、六ケ岳が大元となる。



これを見て思い出すのが、もう一つの相似形だ。

「ひめちゃご41」「宇佐と六嶽は均し」というタイトルで、記したが、宇佐の三女神の降臨地・御許山と鞍手町からの六ケ岳が同じ姿に見えるという件だ。



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御許山




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六ケ岳

こちらの相似形には「宇佐が六ケ岳に第二宮の地位を押し付けた」という事件がある。
言い換えれば、「六ケ岳が第一宮である」のが大元の形なのだ。

そして、これが大伴旅人と関わってくる。
つまり、大伴旅人が隼人を鎮圧するための大将軍として九州に赴任しているのである。
この事件が起きたのが養老4年、西暦720年のことだ。ここに波豆米が共通して出てくる。



あまりにシンクロが多いので、少し整理しよう。

六ケ岳に三女神降臨が降臨して宗像沖ノ島に遷ったが、二つは相似形である。
六ケ岳と宇佐御許山は相似形である。もともとは六嶽神社が第1宮で、宇佐宮が第2宮だった。


712年 宇佐から鞍手に波豆米が来て「六嶽神社と宇佐宮は同じなので宇佐の第2宮になるように」と言った。
720年 大伴旅人は征隼人持節大将軍として九州に赴任した。

ここまでを「ひめちゃご41」で記したが、実はその時、記さなかった話がある。

しかし、大伴旅人のことをやっている今、もう少し突っ込んで整理しておきたいと思う。

まずは過去記事から。

『鞍手町誌』に掲載された「六岳神社降臨紀」より。(読みやすく改変)

<養老2年(718)、宇佐の祢宜、辛島勝波豆米という人、ゆえ有りてこの御社に参り至ったが、室木の長田彦の裔孫・室木ノ国彦というものが、云々

この時、辛島氏が「このお宮は吾が宇佐宮に均しければ、よろしく宇佐の第二宮と称し奉るべきである」と言ったとある。>


718年に宇佐の禰宜、波豆米が鞍手に来て六嶽神社と宇佐宮は均しいので、第2宮と名乗るようにと言った。直後に社家は断絶した。



次に、投降しなかった文章はこうだ。

宇佐ではその直前に事件があっていた。
八幡神が再び荒ぶる神となって人を殺していた。

そこで和銅3年(710)大神比義と辛島勝乙目が三年間穀断ちをして、ようやく「小山田の林に移住したい」という託宣を得る。

その後、霊亀2年(716)に波豆米は大神諸男と莬沙郡小倉山西南に小山田社を造営した。
720年大隅国で隼人が叛乱。

養老四年、隼人討伐の軍勢は小山田社から進発した。


これを時系列に直そう。

和銅3年(710)(八幡神が再び荒ぶる神となって人を殺していたので、)大神比義と辛島勝乙目が三年間穀断ちをして、この年、ようやく「小山田の林に移住したい」という託宣を得る。

霊亀2年(716)に波豆米は大神諸男と莬沙郡小倉山西南に小山田社を造営した。

養老2年(718)、宇佐の祢宜、辛島勝波豆米は六嶽神社に来て、室木の長田彦の裔孫・室木ノ国彦に「このお宮は吾が宇佐宮に均しければ、よろしく宇佐の第二宮と称し奉るべきである」と言った。
その後、六嶽神社の社家は断絶。

養老4年(720)大隅国で隼人が叛乱すると、大伴旅人が鎮圧の大将軍として赴任。隼人討伐の軍勢は小山田社から進発した。この時の豊前守は宇努首男人(うののおびとおひと)という。



その後については、確か、波豆米の発案で傀儡舞が行われて隼人を騙し討ちして、勝利を収めている。その霊を慰めるために「放生会」が始まった。

これらからは、宇佐神宮の「比売神」はやはり三女神で、それは六ケ岳から遷したものといえよう。


さて、大伴旅人の方はその7年後に太宰帥に赴任し、その翌年神亀5年(728)に、共に戦った宇努首男人と一緒に香椎廟に参拝して、香椎潟で玉藻刈りをしている。




旅人は再び九州に来た時、隼人たちの惨状を耳にして、「薩摩と大隅の両国には班田制の執行を見送るように」上申している。その温情ある措置もまた、多くの人から慕われる要因となったのだろう。



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歴史カフェ 7月21日
太宰帥 大伴旅人 -万葉集から描く筑紫の日々ー
https://lunabura.exblog.jp/30342060/


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by lunabura | 2019-07-08 21:56 | 六嶽神社・むつがたけ・鞍手郡 | Comments(0)

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