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ひもろぎ逍遥

大伴旅人は「日本」と「ここ」(福岡)を分けて詠んだ。「ここ」とは「倭」



大伴旅人は「日本」と「ここ」(福岡)を分けて詠んだ

「ここ」とは「倭」






今回、大伴旅人の歌を訳していったが、参考書は岩波書店のものだ。

本には原典(漢字だけの文)と、書き下し文の両方が載っているが、書き下し文の所の「ヤマト」の表記が「倭」となっている。しかし気になって、念のために原典を調べると、「倭」「日本」の二種類があって、しかも別の場所として書き分けられていた。

今日は、今回見つけた「ヤマト」の表記を整理しておこうと思う。

956番  大伴旅人の歌
やすみしし わご大王の 食す国は 日本ここも 同じとぞ思ふ   
やすみしし わごおおきみの おすくには やまともここも おなじとぞおもう

  (わが大君のお治めになる国は 日本もここも同じだと思います)

956番では大伴旅人は「日本」と「ここ」を使い分けている。
これは大宰帥に赴任したばかりの時の歌だ。
天皇を「大王」と呼んでいるが、その大王がいる所が「日本」だ。

では「ここ」は何と呼ぶのか。明らかに福岡(及び九州)のことを指しているが、その答えは966番にある。



966番 筑紫郎子 児島  遊行女婦(うかれめ)
道は 雲隠りたり 然れども わが振る袖を 無礼しと思ふな
やまとぢは くもがくりたり しかれども わがふるそでを なめしとおもうな

  (倭道は雲に隠れています こらえきれずに私が振る袖を無礼だと思わないでください)



967番 大伴旅人
日本道の 吉備の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思ほえむかも
やまとぢの きびのこじまを すぎてゆかば つくしのこじま おもおえむかも

  (日本道の吉備の児島を通り過ぎる時 筑紫の児島が思い出されるだろう)

この二首(966番と967番)は大伴旅人が都に戻る時、水城で児島という乙女が別れの歌を詠み、旅人がそれに答えたものだ。

児島は[遊行女婦]という身分だが、「遊行」の「遊」とは「詩歌管弦」のことだ。
だから、児島は傀儡子のような女性で、例えば筑紫舞を舞うような女性だったと思われる。

児島はこれ以外の時にも、都に帰る人に対して別れの歌を公で詠んでいるので、大宰府直属の専属歌手というイメージを持っている。

その児島が「倭路」と呼ぶ所は、福岡を中心とした倭国の版図をイメージしている。
それに対して、旅人は奈良を中心とした新たな「日本」の版図をイメージして答えたのだろう。

故に、冒頭の歌のこことは「倭」となる。

西暦600年代の日本の事も記している『随書』には「倭国」と「日本」は別の国として著されている。

万葉集からは、西暦700年代になっても、その二国の勢力範囲を「倭」「日本」と使い分けしていたことになる。


20190712



歴史カフェ 7月21日

太宰帥 大伴旅人 -万葉集から描く筑紫の日々ー

https://lunabura.exblog.jp/30342060/




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by lunabura | 2019-07-12 20:47 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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