2019年 07月 26日
熊本美里山都1 霊台橋 石橋のアーチは心を揺り動かす
日が長くなる夏のバスハイクは熊本だ。
福岡からだと阿蘇山の南の町へは3時間半はかかるので、今回のスケジュールは
通潤橋―男成神社―幣立神宮
の三ヶ所だった。
一般のドライブでは幣立神宮から足を延ばして高千穂峡や神社に行って夕方から帰福するコースで日帰りできるが、バスハイクなので、最低夕方6時頃までには天神に戻らねばならないので、三ヶ所行くのがやっとだ。
ところが、今回はドライバーが運転しながら
「左の下に石橋があるでしょ?」
「え?あ、見えた!」
さらに、しばらく行くと、
「ハートが見える石橋が近くにありますよ」
「ええ、あの有名な石橋はこの町にあったんですか」
さらに、
「石橋の横を通るので、止まりましょうか」
「お願いします!」
「歩いて渡れるので、バスは橋の先で待ってます」
と、いくつもの石橋があるのを教えてくれた。
松橋インターから幣立に行くまでに石橋が沢山あったのだ。
石橋が美しいので美里町というのか、と思ったほどだった。
石橋を軽く捉えていたが、心に深く感動させる力があった。
それは人の手によって命がけで造られたのものだからか。
人智の素晴らしさからか。
名画や名曲と同じように宇宙の叡智を降ろして三次元の形を取らせていた。
だから、アートの側面もあった。
しかも、冷たいはずの石が暖かい表情で人の暮らしに寄り添っている。
固いものが人の曲線と繋がり、分離することはない。
今回、いくつもの石橋のアーチを見てそう思った。
石橋には人馬が渡るためのものと、水を通すためのものがあった。
最初に渡ったのは人馬を通す「霊台橋」だった。
国道218号線を走っていると、緑川を渡る橋がある。
その橋の横に霊台橋が現存していた。
築造は弘化4年(1847)だ。それまでは木の橋があったが、何度となく流されたという。
見るとかなり深い谷なので、人馬は荷をかついで川原に降りて橋を渡り、また登っていったのだろう。
今日の緑川は梅雨の豪雨で流れが激しい。こんな流れには木橋は耐えられなかっただろう。
壊れない橋が欲しい。
惣庄屋の篠原善兵衛ら地元住民が立ち上がり、延べ4万越えで、わずか七か月で完成させたという。
種山石工は宇助ら72名。大工の棟梁もいた。
この橋は改良されて昭和41年まで使用され、バスもトラックも通ったという。
横に橋が出来て、昭和42年に国の重要文化財に指定された。
歩いてみると土が載っていて、途中やや勾配があったが、これは昭和55年の復元工事によるのだろう。
架橋当時の形に復元されたという。
渡ったあと、振り返ってみると、美しい姿全体が間近に見渡せた。
20190726