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ひもろぎ逍遥

脇巫女Ⅱ 6 月守の民は古月にいた


脇巫女Ⅱ


6 月守の民は古月にいた



クリスマスの夜に「シリウスの出」を六嶽神社から見たあと、私は鞍手町史を読み返し、六嶽神社の祭祀について、香月の小狭田彦(おさだひこ)が神勅を受けて山上にヒモロギを営んだという話を読んだ。

この小狭田彦は物部氏だが、ヤマトタケルから香月姓を賜(たまわ)り、六嶽神社と直方(のおがた)の剣神社の地を褒賞としてもらった。

何の褒賞かというと、遠賀川の右岸にいた金剛タケル(弟)と佐賀にいた熊襲タケル(兄)を滅ぼしたからだ。

兄弟クマソがヤマトタケルから滅ぼされた時、クマソは滅んだ。

佐賀では、死の間際に熊襲タケルはヤマトタケルの名を自分を殺そうとする青年に献上した。

当時、小碓(おうす)という名だった青年は、この日からヤマトタケルと名乗るようになった。
以上は、各神社誌に書かれている縁起から描いたストーリーだ。

この時、星読流に言えば、クマソは名前を小碓(天皇家)に奪われた。

星読の「言の葉」はこの時代とリンクしているのだろうか。

年が明けると、星読からまた「言の葉」が送られてきた。

<2016.1.3>
聖地「六ケ岳」

月と六ケ岳が見える地に「月守の民」は幼き巫女と暮らす
そこが「古月」
その中心が「木月の剣神社」
そこから、駆けつけるも「神巫女」を守りきれずに、この地を追われる
「星読の民」「月守の民」は共にこの地を離れる

クマソに守られ
多くの者は舟で「宇佐」へ
多くの者は陸路で「佐賀」へ

この地を奪いし者たち「勝月」を名乗る
奪いし者たち、
この地の力 抑えられず
六ケ岳に屈する



星読は追記した。

<ヤマトタケルへの功績により「オサダヒコ」が「ひもろぎ」を行なった、と美化した物語にすりかえたと思います
「イチキシマ姫」(神巫女)を処刑した事実を隠すために
その処刑の地が「オダヤマ」
「香月」を受けし者たち
この者たちは現在の北九州市八幡西区香月そのものではないでしょうか?
なぜか今でも十数人の方々が「六嶽上宮」へ参拝しているそうです
ルナさん、こんなイメージが頭から離れません>

七色がしきりに謂れを知ろうとして奔走しているのが「鷹の口おだ山」だった。
この「鷹の口おだ山」こそ、私の夢の中で馬上の武人が立っていた所だった。
星読は、そこでイチキシマ姫が処刑された気がするという。

その後、月守の民と星読の民は「宇佐」と「佐賀」に逃げて行った。
いずれも三女神信仰が篤い地なので、興味深い。


さて、「言の葉」には、月守の民の居場所が綴られていた。

話題の「鷹の口おだ山」の北の方、二キロほどの所に古月(ふるつき)、木月(きつき)という地名が集中する所がある。鞍手町の中でも北の方に当たる。

そこに剣神社(つるぎ)神社があるが、そこで月守の民が巫女となる子供たちを育てていたという。奇しくも、現在幼稚園がある。

古代の日本では子供たちは集団で育てられていたという話もあるので、上の話も妙に納得したものだ。


この剣神社には「須佐之男命、日本武尊、宮須姫命」の三柱が祀られている。いずれも草薙剣に関わっている。

ここは古代は島だった。

日本武尊はここにやって来て滞在した。

その後、仲哀天皇が神功皇后を連れて来て、皇后は杉の枝を折って大麻(おおぬさ)として祈ったあと、その枝を地に挿した。それが根付いて大樹となったことから「木付き」「木月」という地名になったという。
これは「福岡県神社誌」に書かれている話だ。

今も島の名残があり、桜並木の参道を抜けて石段を上ると拝殿があるが、その左手には広い境内がある。途中で道路が貫通しているが、周囲は田が広がり、かつては海に囲まれた安全な所だったことが分かる。

そして、下の方の赤い祠には今「市杵島姫」が祀られている。



ここからは六ケ岳も良く見える。月守の民から出した姫巫女(神巫女)が六ケ岳で祈る姿を拝して手を合わせていたかもしれない。

「月守の民」というからには、月を観測していたはずだが。
そう思っていると、京都のフルツキ(人名)がそのシミュレーション図を作成してくれた。
それは、遠賀川の対岸の山脈から昇る月だった。

そこに記された山の名は
皿倉山、帆柱山、金剛山、福知山
これらの山々から日々形を変えながら月が昇る。

月は日々時間をずらして昇ってくるので、朝の時もあれば、昼間の時も、夜の時もある。
日が落ちて昇る月は満月だ。
ここできっと満月の祈りを捧げたことだろう。

そして、上の山の名にある「金剛山」!
ここにクマソの金剛タケルがいた。

香月氏の案内で日本武尊は背後に回って観察し、
正面に回って陣を構えたことが各神社に記された縁起から分かった。

歴史と星読の「言の葉」が次第に接近してきた。

星読に出会った後、出て来た「言の葉」にヤマトタケルの名が出ていた。

ヤマトタケルはなぜ「くらて」に立ち寄ったのか
   勝利を祈るためか
   戦いの時期を聞くためか
ヤマトタケルは戦いの民でもある「もののべ」にクマソタケルに嘘の報告をさせ勝利した
   大和の高い位をその報酬として・・・・・



この月守の民の時代とどう関わるのか。
星読の単なるイマジネーションなのか。

判断は出来ないが、「言の葉」の描く古代社会は少しずつ輪郭を描き出してきた。


<20190820>





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異世界小説
by lunabura | 2019-08-20 21:10 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

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