2019年 09月 01日
鴨籠古墳 直弧文石棺が小さすぎる謎 +石人山古墳
熊本県立装飾古墳館の地下入り口を飾るのが直弧文の石棺。

ここでも石をくりぬき、さらに直弧文を掘った石棺に会えた。
屋根の形をした蓋なので家形石棺になる。
説明を聞いているうちに、(変だな…。やけに小さいな)と思い始め、
「これはレプリカですか?」
と最後に尋ねた。
「本物です」
と聞いて、ますます不思議に。

あまりにも小さすぎで、大人は入れない。
女性が被葬者だとしても、肩がギリギリで足を曲げないと入らない。
子供だとしたら、十歳以下なら入るだろうか。
同じ直弧文の家形石棺(レプリカ)を八女郡「広川町歴史資料館」で見学したが、それは見上げる大きさだった。
そう2メートルはあったのに、目の前の石棺は胸ほどの高さ。
土台が15センチほどあるので、さらに低い。
この石棺はあの宇土半島で出たものだった。
説明板を写そう。
「鴨籠(かもご)石棺 宇城市不知火町大字長崎字坊の平
5世紀。
鴨籠古墳は宇土半島南岸の通称城の越丘陵にあった円墳に内部に大きな板石を立てて造った竪穴式石室があり、この石棺はその北壁にそっておかれていたものである。
石棺は蓋・身ともに阿蘇凝灰岩の一石をくり抜いて造られた家形石棺である。
棺蓋の四周に幅の狭い縁取りがあり、両側の長い縁取りの下に、それぞれ2個の縄掛突起(なわかけとっき)があったと言われるが、現在は残っていない。棺身内の一端に枕を造り出してある。
棺蓋の屋根に刻まれた文様は「直弧文」で、もとは赤・青で彩色してあったらしい。」
時代が5世紀ということは、石人山古墳に近い。いずれも家形石棺で直弧文だ。

直弧文と円文が、鴨籠古墳では交互に彫られており、石人山古墳では上層に円文、下に直弧文と分けられていて、それぞれデザインの個性がある。
が、これは両者が同族だという事を示しているのではないだろうか。

鴨籠古墳の石棺を見ると、石の厚みが10センチほどで、底の長さが140cmほどか。
石枕を頭にすると、120cmの身長がギリギリだ。
少年か少女が被葬者だろうが、石棺があらかじめ準備されたというのだろうか。
石棺を造る期間を考えると、その死因には病死以外の原因を考えねばならないのだろうか。
宇土市の向野田古墳は4世紀後半で、舟形石棺で前方後円墳に女性が埋葬されていた。
舟形とはいえ、屋根が家形に近いデザインだった。
その近くのクニに5世紀に埋葬された子供は直弧文と円文が描かれた家形石棺。
熊本はどのように古墳文化が分布しているのだろうか。
嘉麻市や八女の文化とどう繋がるのか。
面白いテーマだが、一つひとつ当たらないと謎は解けないのだろう。
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