2019年 09月 08日
曹操の墓と日田で出た鏡が酷似!?
人は海に立つと水平線の彼方の世界を思う。
福岡の海に立つと、朝鮮半島が彼方にあり、そこには古代中国が深く入りこんでいた。
そう、魏の国。
熊本の海に立つと、彼方に中国があった。古代、そこにあったのは呉の国。
現地に立って初めて分かる感覚だ。
そして、海の無い奈良では、何処を見つめるのか。
それに答えてくれたのは、四十年間、纏向遺跡を掘った人だった。
中国のものが出ない纏向。
そこの人たちが見ていたのは愛知の方だったという。
奈良では中国大陸の政変はそれほど問題はないのだろう。
とある纏向派の学者が「福岡の邪馬台国の学会では中国の話ばかりしている」と、馬鹿にして発言したのに驚いた。
邪馬台国の話をするのに中国の話が要らないとは、不思議な学者だ。
志賀島で倭奴国王印が土中に隠されたのは、その印をくれた漢が滅びたからだ。
そんな印を持っていたら、漢と同一化されて討伐を受ける。
ただし、志賀島から出土した金印は封泥(ふうでい)なので、本当の国王印とは別物だ。
曹操はもともと漢の丞相(大臣)だった。
さまよう漢の皇帝を奉じ、支えていた。
そして、魏を興した。
曹操は死を迎え、墓に金銀財宝を入れぬように遺言した。
その墓が十年前に発見された。
そんなことを考えていたら、今日、ネットニュースで曹操の墓から鉄鏡が出ていたと発表された。
その鉄鏡には金銀の細工が施されているが、それが大分県日田市(ひたし)で出土していたものと酷似したデザインだそうだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190908-00000006-asahi-soci
日田市で鉄鏡発見した人物は、それを望まぬメディアや学者たちに誹謗され、否定された。
真実だったのが、ようやく証明されようとしている。
日田市で発見された鏡は金銀錯嵌珠龍文鉄鏡という。
某博物館では「金銀の鏡」と言って宣伝されたが、金銀ではない。鉄鏡だ。ある人がそれを注意したら、鉄鏡では人が集まらないからと言われたという。お粗末な話だが、記しておこう。
<20190908>