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ひもろぎ逍遥

脇巫女Ⅱ 10 鞍橋君(くらじのきみ)


脇巫女Ⅱ 10


鞍橋君(くらじのきみ)



一方、私は私で、夢の中に現れた「馬上の武人」を探していた。

武人の「私たちは国のために戦ったのだ」という言葉。
古墳時代のような鎧と甲(かぶと)の姿。
出現した場所は「鷹ノ口おだ山」の丘の手前。

この三点から、候補として、鞍手の武人で、歴史的に重要な鞍橋君(くらじのきみ)を挙げた。

朝鮮半島の南西部には十数基の前方後円墳がある。
これは主に九州北部から派遣された武将たちの墓で、一部は遠賀川流域からも派遣されている。

この鞍手も遠賀水軍に含まれており、古墳時代に遠賀水軍が朝鮮半島に派遣されたという事実は、馬上の武人の「私たちは国のために戦ったのだ」に符号していた。

鞍手には大きな古墳が二つある。

新延大塚古墳(6世紀後半)と八尋1号墳(6世紀末)(銀冠塚古墳)だ。

後者は破壊されてしまっているが、その石室の土の中から銀の冠という重要なものが出ている。
消失したこの八尋古墳1号は観光マップからも消えている。一行の記述もない。そこには今は県営住宅が建っているらしい。

この二つの古墳の距離は二キロほど。築造時期が近いので両雄はお互いの事を知っていたと思われた。

私の夢に出て来た「馬上の武人」は、この銀冠を持った八尋一号墳の主ではないかという思いがあった。証拠はない。漠然とした思いだけだ。

そして、それは鞍橋君(くらじのきみ)ではないかという思いも消えなかった。
そう、百済王子と共に新羅に侵攻して籠城し、敵を打ち破った武将だ。
この状況が「私たちは国のために戦ったのだ」という言葉をよく説明しているのだ。

武人は「鷹ノ口おだ山」の前に立っていた。
そこは「星読の言の葉」と「私の夢」の接合点でもあった。
イチキシマ姫と鞍橋君とでは、1000年以上の差があるのだが、武人はその禁足地を守り続けていたのかもしれない。

取っ掛かりとして、「馬上の武人」=「鞍橋君」=「八尋古墳一号の被葬者」という仮説を立てて追ってみることにした。違っていれば、それはそれで収穫がある。

この鞍橋君は筑紫君磐井の孫にあたる人物だ。
鞍橋君に「君」の字が付けられているのは、磐井君の末裔だからだろう。

この鞍橋君の名が鞍手町の熱田神社の系図に出ている。
現在の宮司家(社家)はこの鞍橋君が始まりなのだ。
多分、褒賞として熱田を与えられたのだろう。

鞍橋君という名は百済王子から貰った、と日本書紀に書かれているが、その本名が記されていない。その父葛子、また祖父の磐井の姓も記されていない。

すべて阿倍姓だ。阿倍姓を抹殺したため、百済を救った鞍橋君が磐井の孫ということが分からなくなっていた。葛子は家を再興し、我が息子を半島に遠征させていたのだ。

もし、この鞍橋君がいなかったら、百済国は王と王子が戦死して、新羅に滅ぼされていただろう。
それほどの重要な人物だが、鞍手ではその名が聞かれない。

私は「宮地嶽神社と筑紫君磐井の末裔たち」を執筆中だったので、その登場人物が夢に現れたのだろうと思ったのだった。

忘れ去られた武人にもう一度歴史の光を当ててほしいと。

<20190920>




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by lunabura | 2019-09-20 21:32 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

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