2019年 10月 16日
佐賀の日本武尊と武内宿禰と川上タケル 来週、バスハイクで行くよ
今日は10月25日のバスハイクの資料を作っています。
紹介したいスポットを選んでいると、長崎自動車道沿いに並んでいたので、上のようなコースを辿ります。
佐賀の高速道路は昔の海岸線沿いにあると聞いていますが、やはり、ここに日本武尊と武内宿禰が船に乗ってきて上陸した話が伝わっているんですね。
赤い番号が日本武尊の伝承地になります。
①は白角折(おしとり)神社
⑤は與止日女(よどひめ)神社
⑦は健福寺(真手山)
総合すると、①で軍事訓練?し、⑤では佐賀の地名由来の栄を語り、⑦健福寺で川上梟帥(たける)を討ち取っています。
ここに行基の伝承地が重なってきます。
最澄や行基は神功皇后や日本武尊に滅ぼされた民の供養をするのが旅の目的の一つだったようで、佐賀でも滅ぼされた民の怨霊に苦しめられる人々を行基が救う話があります。
日本武尊は、八幡(やはた)の南にいた弟の金剛タケルを討伐したあと、兄の川上タケルを佐賀で討ち取っています。
佐賀の人も鞍手の人もお互いに伝承が繋がることは知らないと思うのですが、「弟彦公」という武将の名が両地に出てきた時、私は伝承の確実性を確信しました。
「脇巫女」によく出てくる熱田神社が日本武尊の佐賀遠征の出発地であり、帰還地でもあります。
そこにある亀甲は今でも聖地として祀られています。
「ひめちゃご」に、この亀甲が出てきました。
ここで武内宿禰と日本武尊が三つの遠征ルートの中から占ってもらうシーンが出てきます。
これが結願から出て来た時は、とても驚きました。
誰も亀甲の存在など知らないのに、崋山の口から出て来たのですから。
よく、バスハイクの訪問地の内容を後で知って、「行きたかったのに」と聞くことがあるので、紹介しておきますね。
<20191016>