2019年 10月 26日
日本武尊と行基の足跡は麗しい山里にあった 神崎~佐賀市 1
昨日、10月25日は佐賀方面へのバスハイクでした。
小雨が降ったりやんだり、天気雨だったり。
時雨がちの一日は、本格的な秋の到来を告げていました。
「肥前風土記」を追いながら東から西へと向かうシリーズの一つです。
「風土記」に書かれた日本武尊の行動と、書かれていない事件が佐賀には伝わっています。
後にそれを辿っているのが行基でした。
佐賀と言えば広大な平野というイメージがありますが、そこはかつての有明海。
「風土記」の道は山と平野の「あわい」にありました。
その「あわい」には徐福が上陸した時、ぬかるみに難儀して布を敷いて歩いていった話や地名も伝えられています。
その背後にある急峻な山脈と有明海に挟まれた低山地帯に縄文人や弥生人たちは、かなり洗練された暮らしを営んでいるように思われました。
その古代の集落を伝って異文化の景行天皇や日本武尊が東から西へと戦をしかけながら通り、後の世に、行基がそれを供養しながら辿っています。
一方、反対の西からは船が着き、徐福や遣唐使や僧などによって、中国の最新の文化が届けられて、東へと伝わっていました。
その歴史の一部が神社や寺院の境内に残されているのが佐賀の風景です。
そこには、うっとりとするような美しい山里の暮らしが伝えられていました。

最初に訪れたのは白角折(おしとり)神社。
吉野ケ里遺跡の西方にあります。
ここで日本武尊が的を射たという。
続けて仁比山神社へ。

そこには驚くほど大きい仁王像。

そして、仁比山神社にも行基の名がありました。
仁比山神社の祭神は大山咋神のみならず、鴨玉依姫と日本武尊も祀られていました。

その勾配のある地形から、古代豪族の拠点だったのではないかと思っていたのですが、ここに賀茂氏の玉依姫が祀られているということは、古代に賀茂氏が金属加工をしていた可能性も伺えたのでした。
日本武尊は、先程の白角折神社が一時、ここに祀られて、再び現在地に遷った歴史の名残でしょう。

隣接する九年庵では紅葉時の客を迎える準備が進んでいました。

久保泉丸山遺跡は長崎自動車道に掛かったため移動した遺跡群ですが、
東から500mほど、当時そのままの配置で移されていました。
ここには縄文人から弥生人を埋葬した支石墓群と、5~6世紀の古墳群がまとまって存在しています。
移動された時、並べ変えられたのではなく、当時の位置関係そのままに移されていました。
この古墳群を営んだ民は「合理的」に並べて行く、という思想を持った人たちだということが分かります。
竪穴式古墳に登って覗くと、舟形石棺があったりして、系統的に学びたい古墳群でした。
<20191026>










