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ひもろぎ逍遥

徐福信仰圏と前方後円墳 神崎~佐賀市 2






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迷い込んだ金立山憩いの里。

前回の久保泉丸山遺跡のそばです。
今思えば、このような山あいの開けた所には古代人が暮らしを営んだ所のような印象があり、現代になってキャンプ場などが造設されたのではないかとも思われました。

この三角山が金立山かどうかは不明ですが、金立山山頂では徐福を祀っています。

金立神社は上宮、中宮、下宮が鎮座しているので、徐福への信仰は大きなものだったのでしょう。







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下宮社に参拝しました。


その近くに銚子塚古墳があります。床屋の右手の狭い路地を歩いていきます。
国史跡ですが、車では近づけませんし、近くに駐車場も無いので、車でのアプローチは難しいです。






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右が後円部で、左の低い所が前方部です。
全長98mで、柄鏡型の古墳は四世紀末と推定されています。


墳頂に立つと中心線の向こうに山が見え、山を基準に測量したのではないかと思われました。

この古墳が造られた四世紀末には、宇土半島や佐賀、嘉麻に同じようなデザインで規模が違う古墳が営まれた事になります。

未発掘ですが、4世紀末ということから、埋葬施設は竪穴式石室と考えられています。

そうですね。宇土の向野田古墳も嘉麻の沖出古墳も竪穴式石室でした。




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両者は舟型か割竹型の石棺でしたので、それに近い石棺でしょう。

同じようなデザインの古墳が熊本、佐賀、福岡にあるのはどう考えたらいいのでしょうか。
デザインは同じでも、主軸の向きはバラバラでした。
地形を利用し、地山を成形して造っていくので、主軸の向きは思想的には不問だと言えます。



以上の金立山憩いの里、久保泉丸山遺跡、金立下宮社、銚子塚古墳はほぼ同じ地域にあります。

徐福は秦の始皇帝(紀元前259~前210)から逃れて来た人なので、古墳の被葬者たちは徐福信仰のことは良く知っている人たちだったことでしょう。

そうそう、佐賀県立博物館にこの地域から出土した舟形石棺が置かれていました。


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これこそ、舟形石棺の原形と思われるような凄い展示物でした。全長4.3m。阿蘇の石です。
しかし、残念ながら半分は寄せ書きに覆われて全容が見えないようにされていました。

この日は常設展示物は完全に撤去されて、高校生の文化祭があっていました。
考古資料は一点の展示も無かったのです。

常設展示物を一つも展示していない事はHPにも書かれておらず、県立博物館として考えられないものでした。

金立神社の徐福の絵巻もこの博物館が所蔵しながら展示していない。

今回は余りにひどかったので記します。

実は、考古学展示物が展示されていないのは武雄図書館もでした。
歴史資料館は狭くなって一応存在はしていたのですが。

朝倉歴史資料館も富士山の画ばかり展示されて、あの豊かな考古資料は展示されていませんでした。

久留米歴史資料館は行っても見学できなかったので、電話で見学依頼をしたら、「何故見学するのですか」と言われました。「地元の資料を見学したいから」と言いましたが、他に理由が必要でしょうか。結局見学しないままです。遠方から出直しはなかなかできません。

残念な話ですが、事実を記しておきます。




<20191027>



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by lunabura | 2019-10-27 22:46 | バスハイク | Comments(0)

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