2019年 12月 29日
脇巫女Ⅱ40 神功皇后3 倭の女王と来雲の巫女
40 神功皇后3 倭の女王と来雲の巫女
神功皇后は倭国に魏が攻めて来たという。
「魏の国が攻めて来たのですか。戦いはどうなりましたか」
「あの者たちは力で押してきました。力では及びません。私たちは三方から囲みました。私が居ると見せかけた陣営にはタケルとスクネが構えました。
敵はよほど力に自信があるのか、前しか見ていませんでした」
「その陣営とは香椎宮ですか?神功皇后は木月宮にいたのですか」
「ええ、そうです。内通者がいるのに気がついていました。スクネが気づきました。ですから嘘の情報、私が香椎宮に居るように見せかけました」
「で、勝つことは出来ましたか」
「完全勝利とはいきませんでしたが、大きな戦争を終えました」
「敵は上陸してきたんですか」
「ええ。上陸しました。船で戦うのは上手くいきませんでした。悔しい思いをしました」
「で、和平交渉したんですか」
「一度は撤退させました。その時、こちらから使者を送りました。あの内通者を使者にしました。そのあと、スクネが正式の使者となっていきました。和平交渉は同じ立場でないとできません。向こうを有利に立たせる訳にはいきませんでした」
――魏の国と正式に交渉した人となると、倭の女王になる。その名が卑弥呼だ。神功皇后が卑弥呼というのか。
「魏の国の本に書かれている卑弥呼は神功皇后ですか」
「そうです。スクネの話を信じたのでしょう。私はこれ以上、戦う方法もないし、終わりにしたいと思いました。しかし、五分五分でないと攻め込まれます。
嘘でも、やっつける力があると見せかけねばなりませんでした。
そのための話をスクネがやって、魏からの攻撃は止まりました。
私は内を固めねばなりませんでした。それに専念しました。私は疲れてきました」
「スクネはあなたがもう戦いたくないのを、戦わせようとしたのですか」
「ええ。出雲に帰りたかった。今のような生活は疲れていって。仲哀天皇が亡くなり、私たちを取り囲む人たちの思いがいろいろと変わってきました。違う方向で物語が進められていきました。
元の位置に戻りたくなりました。それをスクネは許しませんでした。身も心もボロボロになり、元の位置に戻りたかった」
「元の位置とは出雲ですか」
「ええ」
――ちなみに、史書では、神功皇后と仲哀天皇の新婚の宮は福井県の気比宮だ。
また、時代的には神功皇后が香椎宮にいたのは西暦200年、神功皇后が死んだのは248年と日本書紀は記す。一方、卑弥呼が死んだのは西暦248年と、魏志倭人伝は記す。
史料的には神功皇后と卑弥呼は同時代の人である。
それが同一人物かどうかは、私は否定的な立場だ。しかし、当時の「倭の女王」となると、神功皇后がとなる。その辺りの矛盾が解けないでいる。
しかも、「脇巫女」の場合、ヒイラギ・ミクマナルも自分は卑弥呼だと言っていた。ここは確認しておかねばなるまい。私は尋ねた。
「ヒイラギ・ミクマナルは飯塚の出雲の人ですが、飯塚の出雲と島根の出雲はどう違うのですか」
「平塚の方が元出雲です。今の出雲大社の場所は私たちが住んでいた宮廷で、神社ではありませんでした。
元は飯塚の方です。大国主・ヌタが祀られる場所が飯塚です」
「ヌタはあなたの時代ではないのですか」
「ヌタとは個人の名ではありません。地域の人たちが出雲の神の事をヌタさまと呼んでいました。
出雲大社の大国主も元は飯塚です」
「ヒイラギ・ミクマナルにイヨという娘がいて、魏から嫁取りしたいと言ってきた話はご存知でしたか」
「知っています。魏にはスクネが行きました」
「ヒイラギさんも自分は卑弥呼だと言っていますが」
「私とは違う、出雲の流れの巫女の方々が代々いました。
それを魏の国が嫁取りしたいと言ってきましたが、嫁には出したくない、と。
私が魏と戦ったのを聞きつけて、私に嫁取りの話を相談してきました。どうにかならぬかと。
私は娘に聞きました。一緒になりたいかと。娘はこの地を離れたくない、この地で一生過ごしたい。役目もある。離れたくないと言いました」
「では、断ったのですか」
「ええ。再度、私がそこを通った時の出来事です。知らぬ顔は出来ません。使者の名前はスクネ。二度目の使者を魏に送りました」
「どういう内容ですか」
「娘をどうしてもやれない。和平のため、そちらが嫁取りをあきらめてくれぬかと。
魏は黄金が目当てだったので、そこの問題が解決しなければ、永遠に続く。この地を守るために交渉せよ。必ず奪いに来る。金と交換するように和平を結んで、お互いに物々交換できるようにするのがよい。金を渡す代わりに何か欲しいものはないかと尋ねました。
すると、鉄が欲しいというので、鉄と金を対等交換するように話を進めました。偶然にも互いに融通が利き、魏との物々交換を交渉することになりました。そのうち、男女で愛し合うものも出来て、上手く交流が出来るようになったと聞きました。
九州以外の国とのやりとりの先駆けとなったのです」
――この話では卑弥呼とは普通名詞として取り扱っているようだった。
来雲(古出雲)の巫女の名声は魏にも届いていたのだろう。そして、魏と戦った神功皇后が来雲の代わりに交渉に臨んだ。
魏志倭人伝にも、倭には30ほどの国があり、その代表として倭の女王が交渉したように書かれている。来雲の件を倭の女王が代表して交渉したというなら、意外にも辻褄が合って面白い。
もちろん、この「脇巫女Ⅱ」は史実として論考しているのではない。パラレルワールドの住民が私たちに何を伝えたいのか、楽しめばよいだけである。
<20191229>
パラレルワールド 異世界小説
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