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ひもろぎ逍遥

脇巫女Ⅱ45 斎長 タケルの最期に遭遇した僧



この日、もう一人、関連があると思われる男性が居合わせていた。
その人から、この時代の魂の記憶を取り出した。

崋山に懸かった過去の人は、胡坐を組んで背筋をすっと伸ばし、女人とも思われるしなやかな姿をしていた。しかし男性だった。

菊如は語りかけた。
「はじめまして」
「何か私に聞きたい事があるのですか?あの時代の事で。もう話をしないといけない時が来ましたか」

「そうですね。よろしかったら聞かせてください」
「私が何故ここに来たのかは、私があの方の・・ヤマトタケルの最期を看取ったという事でいいのですね」

「はい」
「私の名前は斎長。私は各地を回っていました」

「お坊様でいらっしゃいましたか。どういうご縁でいらっしゃいますか」

「戦が多く、あちこちで農民や村人が震えあがり、家の中で小さくなっていました。
大きな戦いがあちこちであったのです。

ヤマトタケルと物部の者たちが戦っていました。
そこには、どちらの者か分からぬ遺体、瀕死の者、うごめいているものが行き先々にありました。
私は瀕死の者の最期の言葉を聞いてあげ、息を引き取ると傍に埋め、念仏を唱えて行きました。

ある時、山を登り、下りた所で遺体を見ました。背中を大きく斬られていました。
近づくと瀕死の状態で、手足は動かないのに肩が少し動きました。
刀を抜こうとしたのです。

私が敵ではないと分かると、近寄る事ができました。
その人の口元に耳を近づけると、「自分はヤマトタケルだ」と言いました。
「我が軍勢は戦って先に行った」と。

私はその男の話を聞くことにしました。
沢山の話を教えられました。
幼少の頃から大きな軍の保営地に集められ、様々の国の言葉、戦い方、性質、性格、所作、髪の色、目の色などを学んだ事を。

そして「私の仕事はヤマトタケルとなる事」と言いました。

「なる事」とはどういうことかと尋ねると、その男は「私の名前は、さがとくのすけ。それが五歳までの名。それからヤマトタケルとして訓練された。様々の地から力を持った子が集められていた」と言いました。

その人に
「思い残す事はないですか。幸せでしたか。やりたい事をやり遂げましたか」と尋ねると、
「やりたい事は分からぬが、やらねばならない事はある」と言うので、
「やり遂げましたか」と尋ねると、
「今になっては分からぬ」
と言いました。

私が「つらい事や幸せな事はありましたか」と尋ねると、その方は
「私は何の為に生きて来たのだろう。何がしたかったのだろう。楽しい事もつらい事もあった。裏切られたし、裏切りもした。幸せだったかと聞かれれば、うなずけぬ」
と言いました。

私は言いました。
「私の考えでは輪廻転生といって、命が絶えると生まれ変わるという教えがあります。何に生まれ変わりたいですか」
「普通の人でいい。普通の農民でよい。自分の力でいろいろ試してみたい」
と言って、逆に私に聞きました。
「そういうお前は幸せか」

私は驚きました。
「幸せかどうかは分かりませんが、自分に正直に生きています」と言うと、その方は薄く笑い、「そんな風に生きてみたい」と言いました。

私が「今度生まれ変わったら、一緒に普通の人生を生きましょう」と言うと、その方はにっこりと微笑み、目を閉じ、永遠に旅立って行きました。それがヤマトタケルの最期です」


――これは第二ヤマトタケルの最期の話だ。斎長は偶然にもタケルの最期に遭遇し、その言葉を聞いたのだ。ここで、第二タケルかどうか、確認するためにその場所を尋ねた。タケル本人は熊本で死んだと語っていた。

「それは何処での話ですか」
「今の佐賀に入る手前の山。熊本から佐賀に入る手前。それまではヤマトタケルは二人いました。三人目が用意されていました」

――間違いなかった。斎長は熊本まで流れていったのだ。
しかし、当時仏僧になれるような場所が日本にあったのだろうか。私はそれを尋ねた。

「あなたはどこで仏教を学び、僧侶になったのですか」
「行橋(ゆくはし)で僧になりました。それから行脚をしました」

――行橋市は福岡県の東海岸部にある。そこにこの時代仏教が渡来したという。

ゴーダマ・シッダルタ(仏陀)は紀元前五世紀の人物だ。仏教渡来の時期を日本書紀だけで考察する人もいるが、数百年の間に、例えば船乗りたちによって原始仏教が日本の港に直接もたらされた可能性は十分にあると思う。

それが宗派を形成するほど成長しなくても、個人の信仰によってもたらされたと考えるのは自然の理だ。

仏教は砂漠を通り、シルクロードを経て中国語に訳されて伝わるのもあったが、インドの港から直接渡った僧もいただろう。

ちなみに糸島の清賀上人は奈良時代の人だが、インド人だった。サンスクリット語の経典が糸島では唱えられたことだろう。そのような渡来ルートが古代からあったのは否めない。興味深い話となった。

そこで、私は彼の信仰する仏を尋ねた。
「仏はどんな仏様を祀られていましたか」
「阿弥陀如来です」

「行橋に、当時、寺があったのですか」
「はい」

――行橋市なら国際的な港町だったので、瑜伽業をする集団がいたかもしれない。

さて、最後に、当初出て来たタケルと物部の戦いについて鞍手の話かどうか確認しておくことにした。

「タケルと物部が戦っていた話について何かご存知ですか」

「周りから聞いた話ですが、初めからではないそうです。友好的に手を結ぶ、結ばないという話から内紛という形になったそうです。一つにまとまろうとした時に一方が反旗を翻して分離し、戦った犠牲を出したと聞いています。
村人や農民から聞いている話なのでその程度しか知りません」

――やはり、鞍手での戦い、フルべ物部とサンジカネモチ率いる熱田物部の戦いのことだろう。

斎長は行橋から西へと向かい、鞍手に着き、野ざらしになった死者を弔い、さらに西へ西へと行脚していった。偶然にも火の国熊本で第二ヤマトタケルの最期を看取った。




さて、ここからは、現世の本人が自分の過去生に直接尋ねることとなった。

「僧として悟りに辿り着くことはできましたか」
「そのようなことはとても、とても。悟りというのはどういうものを言うのでしょうか」

「それでは人間の幸せとは何ですか」

「私が思うのは、正しいか間違いかではなく、自分らしく生きる事。自分の心から生きる事。共に生きたい人と、信じた人と。

人は善悪を決めたがりますが、善悪は時代や立場によって変わります。
自分が信じた人が幸せになってくれればいい。何か出来ることがあればさせていただく。その場所で。それが人間の幸せだと思います。

私は死者を見送ることしかできませんでした。
輪廻転生を信じていました。行き先々で巡り合った死に行く人に輪廻転生を話していく事だけしかできませんでした。瀕死の人に出会うのに縁があったのかもしれません。

一人寂しくではなく、そばに誰かいて看取ってあげる。

悟りは先の話。
求めている間は永遠に手に入りません。

善悪は私たちが判断する事ができるものではない。間違ってもいい。
そう思っています」

「そう私も思います」

「自分を知ることはいい事。
沢山の亡くなっていく者たちを看取っていると、腕に自信がある故に亡くなって行く者もいました。
私は私で、タケルと話して、幸せとは何だろうと考えました。

彼の方が周りから注目され、周りからは幸せに見えたかもしれない。
ただ、話していて本当の幸せとは何だろうと思ったのです。
私は自分のしたいことをしているから幸せです。

タケルとは約束したのです。また会おうと。
彼は武将。こういう死に方をしなくていい方法があったはず」

「それを教えていくのですか」
「心にあるでしょう。その方法を教えてあげることがあれば、多くの死者も救いとなるだろうと、私は思います」


斎長が二代目タケルの最期を看取った時、来世で会おうと約束した。
現世で再び出会うと、無二の親友となっていた。


<20200105>

さて、この「脇巫女Ⅱ」もここからはリアルタイムに突入します。ですから、また動きがあった時に続きを書いていくことになります。

異世界の物語はこの「脇巫女」の時代だけでなく、「ウーナ」や「ワダツミ」など幾つもの時空からメッセージを受けています。
時代が混信して届けられているので、分類して記録している最中です。

この福岡県の鞍手町の六ケ岳の物語はもう一つ進行中です。それが「ウーナ」です。
いくつか連絡事項を投稿してから、ウーナの物語にも入ろうと思います。




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by lunabura | 2020-01-05 21:10 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

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