2020年 02月 04日
日本武尊と金剛タケル1 日本武尊の偵察ルートと金剛タケルの聖地
日本武尊の名は『古事記』や『日本書紀』『風土記』に出てくる。
熊襲タケルとの戦いは有名だが、その弟の金剛タケルとの戦いは筑豊の神社群から知る事となった。
筑豊という地域についてはいつも書くように、記紀からは抹殺されているが、金剛タケルの存在も抹殺されていた。
しかし、日本武尊の祭祀や陣営地などを地図に落としていくと、それらに囲まれたエリアが出てくる。それが直方(のおがた)市にあった。
黄色地の神社は日本武尊方。白地の「金剛山」が金剛タケル方だ。
日本武尊は上の杉守神社から尺岳神社に行き、尺岳を通って、赤字で書いた鳥野神社に行く。
それは偵察の行路だった。
その麓に金剛タケルがいるのは明らかだった。
「金剛」の名から容易に推測できるのが金属加工集団の姿だ。
金剛山の麓に金剛タケルの部族は展開していたのではないか、と思われたが、
まつろわなかったために滅ぼされた民の集落を特定することは困難だろうと思われた。
しかし、その聖地は今も名を変えて残っているのではないか。
そう思って地図を見ていると、日本武尊たちの包囲網の中央にある赤い○に囲んだ部分が気になった。そこに「秋葉神社」の名が見えた。
火の神が祀られている! 当然ながら金属加工集団に必要な神だ。
また、その東の山の中を見ると「龍王神社」がある。
水の神だ。
「火と水の神の宮」こそ、金剛タケルたちの聖地ではないか。
そう思い、探訪することにした。
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