2020年 02月 27日
日本武尊と金剛タケル4 尺岳神社 香月氏の拠点
『筑前の伝説』(昭和11年佐々木滋寛)に直方(のおがた)の尺岳(しゃくだけ)の地名由来が載っている。
それには日本武尊が関わっていた。読んでみよう。(一部、現代仮名遣いに変更)
「頓野(とんの)字上頓野」に残る「尺岳の背競(せいくらべ)石」
<日本武尊が熊襲征討のために筑紫に下られた時、大渡川から遠賀郡杉森の地を経て尺岳に上られ、山上に聳える大石に凭(よ)って御身の丈を比べられたので、この山を『はかり岳』というようになった。
その時その大石は俄(にわか)に命(みこと)の御丈よりも一尺ばかり縮んで低くなったといい、その背競石は高さ六尺位もあって尺岳神社の傍に残っている。>

画像の右上に杉守神社と尺岳神社と尺岳がある。
杉守神社で、「当社はもともと畑ダムの所にあったのが災害などで現在地に遷った」と伺った。
つまり、尺岳神社が元宮だと言うことになる。
上記の本から、日本武尊は川を遡って杉守神社の所に至り、そこから尺岳に登ったことが分かった。
日本武尊が山上にあった大石と背を比べたことから山名が「はかり岳」となった。
その大石は武尊の背丈よりも30センチほど低くなったが今も残っているという。
祭神は「日本武尊 少彦名命 大歳神」だが、もとは「日本武尊 小狭田彦 御剣王」だった。
この小狭田彦(おさだひこ)と御剣王(みつるぎおう)については「鞍手町誌」の方に詳しく書いてある。
<香月文書によると、畑城主香月氏の神話伝説に次のようにある。
小狭田彦の孫小磐削(こいわげの)御剣王は日本武尊と小狭田彦の娘・常磐津姫の間に生まれた人である。
父君の日本武尊に従って東征し、駿河の焼津では特に軍功があった。
その賞として祖父景行天皇より武部(たけべ)臣の称を頂いたほどである。
御剣王は帰国の後「兎(と)に角(かく)に父の尊の慕わしくて、尺岳及び新北(尊の戦勝を祈り玉ひし地なり)に尊を祭り玉ひ云々」とある。>
小狭田彦の娘に常磐津姫がいて、日本武尊と結婚した。二人の間に小磐削御剣王が生まれた。この御剣王は日本武尊の東征に随行し、駿河の焼津で軍功があったという。
すると、御剣王が従軍できる年齢に達するまで、少なくとも十数年間は日本武尊も筑豊に居たことになる。
御剣王は祖父の景行天皇から武部臣の称を貰ったということなので、景行天皇も十数年生きていたことになる。
記紀とはかなり時間差があるようだ。
この御剣王は帰国して尺岳と新北(にぎた・熱田神社)に日本武尊を祀った。

新北の場所は画像の左の方、剣岳の西にある。その亀甲で武尊は戦勝祈願をしたと現地で伝えている。(ウーナや脇巫女に出てくる「亀甲」のこと)
ついでに説明するなら、その東にある御山神社が陣営地である。
さて、尺岳神社は未訪問だったが、先のバスハイクで「直方と田川の日本武尊伝承地」を回る時、そのルートに入れた。
最初に「畑キャンプセンター」に行き、そこから遊歩道を通って参拝する予定だった。
なかなかキャンプセンターが分からなかったのだが、何人かの人に尋ねて辿り着いた。
幸いにスタッフがいたので尺岳神社の場所を尋ねると、水害で道路が壊れ、修復中なので通れないと言われた。遊歩道も壊れたのか、と思ったが、何とかバスでも行けるだろうという話を聞き、近くまで行って歩くことにした。
距離は一キロほどだということなので、歩いても15分ぐらいだ。
スタッフは、「バスも、もし祠の所まで着けばそこで方向転換が出来ると思います」と言われた。
そして「どうしてあんな所に行くのですか。石の祠ぐらいしかないですよ」
と何度も言われた。
そして「自己責任でお願いします」と言って見送ってくれた。
(いや、ちゃんと拝殿があるはずだが)
と思いながらも、教えられた通りに大通りに戻って下り、林業の家の手前を左折して脇道に入ったとたん、「変だ。山に向かっている」と気づき、バスの運転手さんにストップをかけた。
後ろの座席からも「方向が反対ですよ」とスマホで検索して教えてくれた。
尺岳神社はダムの側にあるはずで、水際に下がって行くはずだ。
教えられたのは山の上の神社?
皆さんと相談して、スマホを信じてダムを周回する道に方向転換した。
その道は細く、舗装の端っこが丸く壊れてタイヤが半分脱輪するような状況だったが、運転手さんは「ダブルタイヤだから大丈夫」と気にせずに進んでくれた。
ホントに半分脱輪したのだが、言われる通り、影響なく進んだ。しかし、その先が左カーブになっていて、道なりに曲がると、右手には柱があって接触しそうになる。
運転手さんの腕が良くて何とか切り抜けた。
それからも、ずっと左はダム。右は山。そこをくねくねと曲がっていくと、大きな鳥居が見えた。
後ろから大きな拍手が起きた。

まさかね。
バスハイクの第一社目がこれほど困難な道だったとは。
で、バスを降りると遊歩道の案内板がちゃんとあった。
まさか、さっきのスタッフはエリア内に尺岳神社があるのを知らなかった?
まさか。まさか。
と言いながら、無事に参拝を済ませたのであった。


旧祭神は「日本武尊 小狭田彦 御剣王」
香月氏の長・小狭田彦と婿の日本武尊、その子の御剣王という関係になる。
ここが香月氏の拠点だった。
ダムに沈む前はどのような集落があったのだろうか。
キャンプ場にもあったかもしれない。
きっとこの神社は集落からは小高い聖地だったのではないだろうか。
そんなことを考えた。
<20200227>








