2020年 02月 28日
日本武尊と金剛タケル5 鳥野神社 日本武尊が熊襲を眺望した
直方市大字頓野字内ヶ磯にある鳥野神社にも日本武尊の足跡がある。
『福岡県神社誌』によると、
祭神 保食(うけもち)大神、軻遇(かぐ)槌(つち)神、天照大神、応神天皇、月讀大神
となっている。
日本武尊の来歴に関して訳してみよう。
<景行天皇の御代に日本武尊は熊襲討伐の為に下国された時、当山で神威を感じられた。
そこで敬拝して戦利を祈られ、凱旋する途中に再び来て、上宮、中宮、下宮の三宮を創立し、お礼の気持ちを表された。
それ以来、衣食の太祖、西州の鎮守として朝野の尊信が厚い。
仲哀天皇の御代、神功皇后が三韓征伐のために下国の折、戦利を祈り、帰国の後、鳴鏑矢(なりかぶらや)を山上に納めて、武内宿禰にお祀りさせられた。(略)当社の神使は鳥である。(略)日本武尊が熊襲を眺望した所なので国見山とも言う。>
日本武尊は熊襲討伐の為に当地に来た時、当山で祈り神威を感じ、戦勝を祈願した。
そして戦いに勝ると凱旋の途中で当地に再び来て上中下の三宮を創立したという。
上宮は福智山になる。日本武尊は山上に登った。
この鳥野神社からは眺望が利かないのは中宮か下宮だからだ。

しかし、ここも聖地らしい趣があり、誰もが一の鳥居で感嘆の声を挙げる。

石段は長いが、意外に上りやすい。
ここもキャンプ場になっているようだ。

同じ直方市にある近津神社の縁起によると、
日本武尊は福智山に登って弓矢を奉納している。
この時、玉体を守護する事代主命を新たに祀ったとあり、その神は近津神社の方に祀られている。
この縁で神功皇后も先勝祈願し、凱旋後に山上に鳴鏑矢を奉納した。
以上の話はよく分かるが、問題は下線部の「熊襲を眺望した所」という言葉だった。
熊襲と言えば佐賀の川上タケルのことなので、
どうして福智山から佐賀が眺望できるのか、疑問が湧いたのだ。
香月文書には
<日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、熊襲の軍を屠った。>とあり、
明らかに地元の話だった。
そして周辺の伝承を調べるうちに、金剛タケルを熊襲としていることが分かったのである。

地図上では尺岳神社から尺岳を経て尾根伝いに鳥野神社まで行けそうだ。
が、バスで行くとなると、尺岳神社から一旦山を下り、南下して再び山の方に向かわねばならない。
途中、隕石で有名な須賀神社に立ち寄ったが、それは別の機会に記そう。
尺岳神社は畑ダムの湖畔にあったが、鳥野神社は内が磯ダムの湖畔にある。
思えば二つとも地形と鎮座地が似ていた。
ナビで行くとダムを支える橋を通るように示す。
乗用車では何とか通るが、道も橋も狭いので、バスは曲がり切れない。
バスの時には遠まわりで行った。
鳥野神社の夏の画像を見ると緑陰が美しい。
<20200228>








