2020年 02月 29日
日本武尊と金剛タケル6 御山神社 日本武尊の陣営地に祭壇と松の木
同じ直方市(のおがた)だが、遠賀川の西に御山神社がある。
そこに日本武尊は陣営を敷いた。
主祭神 日本武尊 相殿 宮簀姫・須佐之男命
【境内由緒書】によれば
<今から1870年の昔、景行天皇さまの皇子で、日本武尊といふお方が九州の悪者の熊襲を、たいらげに来られたとき、この御山の地に陣所をつくられました。
その記念として村人たちが社をたてて、日本武尊ご夫妻と、スサノオノミコトをお祭りして御山神社としました。
又そこに一本の木を植えました。その木がだんだん栄え茂って森をつくりましたので、この土地を植木の里といふようになりました。植木の地名のおこりであります。
昭和43年8月 御山組合>
とある。対岸の金剛山に対峙する場所だ。
これは陽動作戦だろう。
実際は香月文書に
<日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、熊襲の軍を屠った。>
とあるように、背後の山から攻め込んだと考えられる。

ここは「植木」という地名で、掲示板の解説では誰が植えたのか不鮮明だが、
【中山八剣神社伝記】由来記の方が詳しい。
植木の里について、次のように記す。
<第12代景行天皇の皇子、小碓命(日本武尊)が熊襲征伐の命を受け、行軍の途次、今朝麿(田部宮司家始祖)の案内で中山剣岳に登られ国見をされて御出発後、この地にて休憩され家来の弟彦公(尾張氏)に命じ、檀を築き一株の松を植えて後世の験とされた。名付けて植木といい、松樹生い茂り所を植木の森(御山)と号し、その里を植木の里という。>
日本武尊は剣岳から国見をして、御山の地に祭壇を築いて一本の松を植えた。
先勝祈願して陣営を敷いたのだろう。
家来に弟彦公が出てくるが、日本書紀によると、美濃国の弓の名手で、推挙されて武尊の家来となった。
この弟彦公は肥前でも名前が残っていて、川上タケル討伐の時には副大将だったという。



左は「植木」の碑。中央が貴布祢社。 右の石祠が御山神社だ。「おやま」と読む。
<20200229>








