2020年 03月 08日
日本武尊7 土折、猪折討伐 白鳥神社 田川猪国
白鳥神社は複数あるが、田川市にも二社ある。
田川は古代には鷹羽、高羽と書かれた。
その田川の二つの白鳥神社の内、南の猪国(いのくに)にある神社を訪れた。
南北を結ぶ322号線に沿ってはいるが、ダイレクトに面している訳ではなく、平行した路地に入り込むことになる。

堂々たる拝殿だ。

祭神は景行天皇、日本武尊、稲目姫尊 である。
景行天皇と日本武尊の父子がこの地に来た。稲目姫尊は伝承が無い。
【境内掲示板】
<古くは景行天皇由緒の地として帝王山(擂鉢山)に鎮座していましたが、仁和三年(887)に現在の地に移って、王大子宮と称していましたが、元和五年(1692)、小倉藩主小笠原忠雄によって、鎮守大明神と改称され、明治四年(1871)に白鳥神社と改められて現在にいたっています。>
当社はもともとここから南にある帝王山(擂鉢山)にあったものを遷したものだ。
帝王山は嘉麻市山田にあるので、伝承はそこの話ということになる。
『福岡県神社誌』を読もう。現代語に訳している。一部改変。
<昔、景行天皇が筑紫熊襲の賊を討伐された時に、賊は猪膝の地に逃げたのを、ついにこの地において賊を罰された。天皇が通られた地である事から、里人が社殿を創立したという。
仁和三丁未九月九日社殿を造営して旧社地帝王山古宮より今の社地に遷座した。(略)
大友宗麟の兵火にかかり、旧記、古文章、宝者など残らず焼失した。(略)
又今、古宮と称して小詞を建立し、祭場は帝王山と呼んで現存している。
これは景行天皇27年冬11月19日、日本武尊が軍隊を起こし、この地を打たれた恩徳を重んじて、尊が天神地祇を祀られた跡に社を建て奉斎しているものである。(旧王太子宮)>
社号は王太子宮から鎮守大明神と改称し、明治四年に白鳥神社となった。
帝王山から現在地に遷宮したのは仁和三年(887)のことである。
もともと景行天皇が賊を討伐した時、賊が逃げ込んだのを帝王山の地で討伐したということになる。
しかし、景行天皇27年に再び敵が叛乱したのを日本武尊が討伐したという流れになる。
地元の伝承を記録するHP『発掘ばい』には
<高羽(田川)の川上にいた土蜘蛛の土折猪折(つちおり)を日本武尊が討伐し、その体を切り裂いて各地に埋めた、その部位の名が元になり猪膝、猪鼻などの地名になった。>
とある。あの日本書紀に書かれた土折、猪折の討伐が由来だったのである。
これに対応して、帝王山のある嘉麻市でも同様の話を伝えていて、
<山田射手引神社縁起には 「山田の東方にそびえる帝王山(摺鉢山)は、景行天皇の熊襲(くまそ)征伐のときに、天の射手を率いて陣をおひきになったところ」とあります。
さらに、景行天皇の西方征伐のあと熊襲が再びそむいたことから、それを鎮めるために日本武尊が西に下ってきたという伝説も残っています。>「嘉麻市立上山田小学校
「小富士にまつわる歴史」より)
とある。
日本書紀ではその場所を「緑野の川上」と記していて、場所が分からなかったのだが、この南西の嘉麻市の話だったのである。そしてその身体を田川に埋めて、猪膝、猪鼻の地名となった。
田川市猪国1722
<20200308>








