2020年 03月 20日
日本武尊と金剛タケル12 舞岳神社 日本武尊は金剛山上で舞を舞った
日本武尊は遠賀川の左岸にある十五社神社や御山神社に陣を敷いた。
そこから見えるのが金剛山だった。
金剛タケルが居た所が何とか特定できないか。
そう思って歴史カフェの資料を見直してみると「杉守神社」の所に
<金剛山 香月家譜によれば、熊襲の大将である火国の川上梟師の弟の江上梟師が金剛の丘に居た。日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、熊襲の軍を屠った。>
と記録していた。
金剛タケルが居たのは「金剛の丘」だったのだ!
地図を見ると地名の香月の南に金剛という地名が残っていた。
(地元の人には当然だろうが(;’∀’)
金剛タケルの名が地名に残っていた?
そういえば高速のインターチェンジにも「金剛」があるではないか。
高速は金剛タケルの地の上を走っていた?
地形地図を出して丘を探した。
すると、金剛という地名の南に小さな丘があり、「舞岳神社」と書かれていた。
いかにも聖地の地形だった。
その南に星ケ丘団地が広がっている。この丘が金剛の丘か!
いかにも弥生集落がありそうな地形だった。
この丘の部族はきっと舞岳神社を聖地として自分たちの神を祀ったと思われた。
金剛タケルが祀った神の名は記紀の神とは違うはずだ。
しかし、日本武尊が勝ったとしたら、何らかの痕跡を残すのではないか。
舞岳神社の祭神を見ると、
伊弉諾尊、伊弉冉尊、級長津彦神、級長戸邊神の四祭神となっていた。
読み方は、イザナギのミコト、イザナミのミコト、シナツヒコのカミ、シナトノベのカミだ。
やっぱり!
風の神が祀ってあった。
イザナギ尊とイザナミ尊の夫婦神の間に生まれたのが「風の神」のシナツヒコで、シナトノベはその妻とされる。
風の神こそ、冶金の民が祀る神だ。
ここは元々金剛タケル一族の風の神が祀られていて、のちに日本神話の神に名を変えられたのではないか。
そう推測した。
そうして舞岳神社の由緒を探すと、
「舞岳」の社号は、日本武尊が舞を舞ったことから付いた名だと記されていた。
出た!
武尊が舞った舞は「戦勝の舞」ではないか。
敵の聖山である金剛山の山頂で日本武尊が舞ったということは、戦いに勝った証しに違いない。
それなら舞岳は何処にある?
そう思って調べて行くと、舞岳とは金剛山の別名だった!
戦勝者が征服地に新しい名を付ける。これが常道だ。
さらに、舞岳神社の住所を見ると、笹田となっていた。
笹田(ささだ)という地名は香月小狭田彦(おさだひこ)のオサダから変化したのではないか?
そう思って調べると、やはりそうだった。
金剛タケルが住んでいた金剛の丘は小狭田彦の領地となっていたのだ。
現地に行けばさらに分かるかもしれない。
そう思って、現地入りした。

舞岳神社に近づくと金剛山は三角錐の形に見え出した。いかにも神奈備山の姿をしていた。

社前から金剛山が見えた。

境内に上がると木々の間から尖った山容が見える。
ここは遥拝所の地でもあったのだろう。

拝殿の案内文には、やはり、「金剛山とその水を祭り」とあった。
ここは遥拝所でもあるのだ。
ちょうど参拝に来た女性に話を聞いてみた。
地元の人は猿田彦を「お猿さん」と親しんで呼んでいる。そのお猿さんは金剛山の水源に祀られているという。
そして、お猿さんが日本武尊の道案内をしたということだった。
もともと猿田彦が日本武尊の道中を守護したという話が変化したようだ。

境内からは星ケ丘団地がよく見えた。
山の右のピークが福智山だ。
話によると、団地になる前は森で、古墳もあったという。
この丘は縄文遺跡も出土している。
遠賀川の潮の影響を受けない丘陵で、水害の心配もなく、豊かな弥生集落が営まれていたことだろう。
小狭田彦の拠点は厳しい山中にあった。
杉守神社で、香月氏が何故、畑ダムの所から現在地に移って来たのか、伺ったことを思い起こした。
もともと黒川の上流、シラキ川が注ぐ所に住んでいたが、水が無かったので、現在地に移ってきたという話だった。 氏子が周辺に多いのも理由の一つだと言われた。
もちろん、移ったのは古代だ。
現在地も近年まで水質のよい井戸があったが、 炭鉱のために水が出なくなったという。
しかも、社前の黒川も洪水で氾濫して、一面水浸しになるという話だった。
これで、すべてがつながった。
小狭田彦は日本武尊と共に、金剛の丘(星ケ丘)に攻め入り、金剛タケルを滅ぼした。
その後、日本武尊は金剛山に登り、勝利の舞を舞った。
その時から金剛山は舞岳とも呼ばれるようになった。
そして、金剛の丘には小狭田彦の名がついて「ささだ」となった。
日本武尊は物部氏だった小狭田彦に「香月」(かつき)の姓を与えた。
こうして金剛タケルの歴史は終焉した。
筑豊の各地で伝えられている熊襲とは金剛タケルのことだった。
江上梟帥(えがみたける)という。
八幡西区笹田977
<20200320>
大きな割れ目があって、そこに触れると必ず大風が起こると伝わると、山歩きのサイトの方が書いてみえました。
木屋瀬(こやのせ)小、中学校の校区で育ちましたのでなじみもあり、思わず引き込まれてしまいました。
因みに星ヶ丘団地の主なエリアの以前の地名は“七田(ひった)”と言われていました。
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.787030&lng=130.727520&zoom=14&dataset=fukuoka&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
一度登ってみたいです。
舞岳神社は、もしかしたら北側にある(いわゆる金剛地区)、前岳神社のほうが金剛山にある上宮の下宮として本チャンかも知れません。
※参照
http://sisekib.kitahistory.net/yani-nobu.htm#6
もともと「前岳」の号の方が古くて、あとから「舞岳」になったのかなあとも考えているのです。そちらにも行こうとしたけど、本宮神社に先にいって、迷ったのであきらめたんですよ。








