2020年 06月 26日
『神秘書』 構成と成立 物部上津麿保房によって最終編集がなされた
『高良玉垂宮神秘書』(以下『神秘書』)は大きく三部構成になっている。
全部で551条あるが、そのうち冒頭の一条と巻末の550条・551条はちょうど前と後ろに付ける表紙のような形になっている。それらに挟まれた部分は断片的に残されていたものを掻き集めて記している。

そこで一部(1条)、二部(2条~549条)、三部(550条と551条)と、三部構成で考えると様々な矛盾にいくらか対応できる。
この三部は祭神などについてそれぞれ異なっており、自己矛盾があるからである。千年以上の歴史の中、仏教が入り、当山では物部氏が台頭してきたことで祭神が変化していったので、第二部の中でも矛盾がある。
『神秘書』を手に取った者は、まず1条から読み始めるが、通史とは異なる歴史が書かれ、しかもカタカナ書きなので読解に悩む。1条は後付けされたもので、通史を理解するためには必要だが、本質は第二部から考察するとよい。
この本が成立した事情は巻末の551条に記されている。その概略は次のようになる。
大祝(おおほうり)職は物部上津麿尊保房だった。ある年のこと、9月11日から三日間、保房の前に老人が顕現して天地開闢から未来までを語った。保房(やすふさ)は手元にある紙の裏にその話を書き留めた。
この時、老人は「文盲のためにカタカナで記すように」と言ったので『神秘書』はカタカナ書きになった。
3日目の9月13日、語り終えた老人が去ろうとする時、保房はその袖を押さえて「如何なる化身であられるか」と尋ねると、「仁徳十七代、九月十三日に遷幸した者である」と言ったので、高良すなわち高良玉垂命と分かった。
この日付は高良玉垂命が高良山に来た日として記憶された重要な日だったのである。この本は高良の言葉を記したことから『高良記』と付いた。
以上のような内容となっている。
その成立年代については奥書末尾が切断されているために特定できない。しかし、逸文などから成立は文録五年(1596)から正保三年(1646)の間と推測されている。つまり江戸幕府が始まる前後の頃だ。
この直前に高良山では二つ大きな事件が起きている。
一つは西暦1587年に豊臣秀吉が来山した時の事だ。秀吉を迎えた坐主(ざす)らが内甲を身に着けていたのを秀吉本人に知られて逆鱗に触れ、高良山の神領が没収された。
もう一つは西暦1591年に坐主の鱗圭が暗殺された事件だ。
このことから高良山はかなりの危機感を持っていたと思われる。このようは背景から高良山の歴史を残しておこうという思いが保房に生まれたのかもしれない。
しかし、神懸かり的ものとして記されたのは、『神秘書』を格付けするためか、あるいは寺の方に遠慮したのか、分からないが、「この書物が他の人に渡ることがあれば、その人は奈落に堕ち、巻物は妙華となって散るだろう」と戒めている。
<20200626>








