2020年 06月 29日
『神秘書』高良玉垂命とはアントンイソラである
『高良(こうら)玉垂宮神秘書』(以下『神秘書』)を読んでいくと、玉垂命(たまたれのみこと)が時代によって変わっていく。
高良玉垂命とは誰なのか、古来論争がある。
『神秘書』では玉垂命を「高良大明神」「玉垂大菩薩」「高良大菩薩」と記している。
ここでは玉垂命と記そう。
この謎の神は江戸時代に久留米藩主により「武内宿禰」と定められた。
しかし153条から156条を見ると、祭神が四柱並立して記されており、武内宿禰は「善神王(ぜぜのお)」という名で四柱目に記されている。( )の中は綾杉が記した。
右宮 住吉大明神 ヒコナギサタケウガヤフキアワセズ
中宮 玉垂大菩薩 (安曇磯良)
左宮 宇佐八幡大菩薩 (応神天皇)
善神王 (武内宿禰)
つまり、玉垂命と善神王(武内宿禰)は別の神なのである。
高良社が京都の石清水八幡宮にあるが、後嵯峨上皇が参籠する時に「武内、若宮、高良は八幡宮と最も密接な由緒を有する」と言った。(葉黄記)
「武内」は武内宿禰、「若宮」は仁徳天皇、「高良」は玉垂命のことだ。
「八幡神」とは応神天皇のことで神功皇后の子だ。
仁徳天皇は応神天皇の子である。神功皇后を支えたのが武内宿禰と高良玉垂命だ。
後嵯峨上皇は「武内宿禰と仁徳天皇と高良玉垂命(安曇磯良)は応神天皇と(神功皇后を通じて)密接だ」と言ったのである。
これは当時はまだ別神として認識されていた例である。
玉垂命が誰なのかを明らかにする証拠が祭礼の時に献上する「覆面の布」である(22条)。
そこには「大菩薩を抱き奉る祭礼の時に覆面の布一疋、手袋の布二疋」などを奉納した、とある。
天武期の白鳳二年(673)、高良山に仏教を取り込むために「玉垂命が発心して大菩薩になり、物部美濃理麿保続に玉垂命が懸かった」という話が創作された。
これによって大祝が「大菩薩を抱きまいる祭礼」を行った。これは物部保続が祭の時に神人一体となったという意味だ。
この時、「覆面の布」を奉納した。「覆面の神」とはアントンイソラ(安曇磯良)のことである。
当社縁起絵巻には白布で顔を隠して亀に乗る磯良が描かれている。
磯良は神楽や筑紫舞で白い覆面を付けることで知られている。
本貫地、志賀海神社の御神幸祭では一尺ほどの白布を顔の前に下げる。戦前には三尺ほどの白布を顔に巻き付けて顔を覆っていた。

<20200629>








