2020年 07月 03日
『神秘書』高木の神と神籠石(八葉の石畳)
今日も『神秘書』の内容をまとめていこう。
「玉垂宮」の社号は玉垂命が干珠満珠を納めたことから付いたが、「高良」の由来については143条に玉垂命が遷幸して住厭(すみあき)に登った時、「善い高山だ、良し、ここに住もう」と言ったことから付いたと記す。
「高良」の読み方は現在「こうら」と読むが、中世には「かわら」と読んでいた。京都市の石清水八幡宮の高良社もかつては「河原社」と記していた時期があり、「かわら」と発音するままに漢字を当てたと思われる。
玉垂命は住厭に住処を定めると、そこで四方の固めの指図をした。そこには三年住んだが「八葉の石畳」を一夜で構えると「住み飽きた」と言って、現在の社殿の所に遷った。よって、元の所を「住厭」と呼ぶようになったという。
「八葉の石畳」は「八葉の蓮」を表したものだという。これは仏教が入ったのちの説明となろう。
現在はこの列石を「神籠石」と呼んでいるが、「神籠石」は別のものを指していた。高良山の登山道にある巨大な磐座が本来の神籠石だ。神籠石を築造する間、しばし神が立った所だという。
この岩には「馬蹄石」という馬の足跡の形をしたくぼみがある。これは玉垂命の神馬の蹄の跡である。これには地主神の高牟礼との物語がある。
高良山はもともと高牟礼の神の住まう山だった。
玉垂命は宿を借りようとすると、上宮から高牟礼の神が神籠石まで降りて来た。
玉垂命が「留めてほしい」というと、「その印を」と言われて玉垂命は神馬の蹄の跡を岩に付けたので、高牟礼は納得して留めた。ところがその夜、玉垂命は八葉の石畳を一晩で造ったので、高牟礼が戻れなくなったという。
この高牟礼とは高皇産霊神(たかみむすびのかみ)のことで造化三神の一柱である。
地元では高木(樹)の神とも呼んでいる。
追い出された高木の神は現在、八葉の石畳の結界の外の高樹神社に祀られている。
高良山はもともと高牟礼山と称して、高牟礼の神の鎮座する山だったのである。玉垂命が一夜の宿を借りる時に高牟礼はその印を求めたのだが、神馬の蹄の跡を見て何故納得したのかは書かれていない。
同様の「神馬の蹄の跡」の磐座は大分市安心院の妻垣神社(足一騰宮)にもあり、そこは玉依姫の付けた跡という。
高良山麓に「高良内」という町がある。これは八葉の石畳の結界外にあるが、高良の内とみなすので「高良内」という地名になった。玉垂命が発心して大菩薩になったのち、託宣があって三百六十余坊と建てた時、「高良内」に十五坊を建てたのは結界内だからである。
以上が『神秘書』の内容となる。
「八葉の石畳」の説明が二つ出てくる。
一つは玉垂命が住厭に住んで三年後に一夜で造った。
一つは玉垂命が高牟礼の神に一夜の宿を借りた時、結界として一夜で造った。
当時から誰が造ったのか、関心が持たれていて複数のストーリが生まれたもようだ。

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