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ひもろぎ逍遥

『神秘書』玉垂命が武内宿禰に変わった白鳳二年 




仏教導入するための物部氏の秘策

白鳳二年、玉垂命が出家して大菩薩になった



 西暦673年のことだった。

それまで神道のみで仏教を受け入れなかった高良山に仏教が入った。

時の大祝だった物部美濃理麿保続は周りを納得させるために秘策を練った。

そして編み出した策は、「斗藪の比丘」(身心清浄な修行僧)が高良玉垂命に仁王経二巻を教えると、玉垂命は発心して仏門に入り「大菩薩」になった、というものだった。

これより玉垂命は高良大菩薩と号するようになったのである。仁王経二巻とは国王の在り方を説く格別なものだった。

 その時の状況を一条では、物部美濃理麻呂に高良明神から御託宣があり、

「斗藪の比丘がひそかに来て、『天下の万法は最終的には仏海に帰するものです。当社の明神がどうして一人それを成さぬことがありましょうか、云々と言われたので、私はこの仁王経の文で発心した」

と言われ、美濃理麿に大明神号を譲って、自らは大菩薩となった。

この大菩薩が美濃理麿に垂迹されたことで、大祝美濃理麿はその俗体を継ぐことになった。
高良大明神を改名して高良大菩薩という、と記している。

玉垂命が仏教に帰依すると託宣したという話を編み出したのである。


 物部美濃理麿はこの状況を「大菩薩を抱きたてまつる」と表現し、自分は玉垂命の俗体と称するようになった。

 物部氏である美濃理麿が神人合一すると、「自分も大菩薩も同じ姓である」と言って、「大菩薩の姓も物部氏である」と主張した。こうして、それまで安曇磯良の名が消え、物部姓の大明神が誕生した。

高良山における物部氏の当時の長は武内宿禰(物部保連)なので、大菩薩も物部氏だという理屈が生まれたのである。



二中暦と寺社暦


 この大菩薩発心の年は西暦673年だが、白鳳2年とする条と白鳳13年とする条がある。

これは当時、二中暦と寺社暦の二つが使用されていたことから来た差である。











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この西暦673年は天武天皇が即位して二年目で、癸酉(みずのととり)の年でもあった。

高良山には「二中暦派」と「寺社暦派」がいて、お互いに間違わないように、「癸酉」や「天武天皇即位二年」というキーワードを加えてそれぞれ記している。


白村江戦から十年後

この白鳳2年の事件は、物部氏の単なる増長ではないと考えている。

十年前の西暦663年に白村江戦があり、倭国は唐に敗戦している。この時、筑紫君薩夜麻も唐の捕虜となって連行された。

筑紫君不在となった筑紫には天武天皇の時代、仏教が各地に入って来る。

その流れを高良山の大祝の美濃理麿も食い止めることは出来ず、受け入れざるを得なかった。しかし、古来からの高良山の神道組織を納得させるために、このような芝居を討ったのではないか、とも考えられるからである。

<20200709>





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Commented by チェリー at 2020-07-10 00:02
lunaさん、こんばんは。
物部美濃理麿保続の「美濃」とは、岐阜県のというか、私が住んでいる美濃のことなのでしょうか?
Commented by lunabura at 2020-07-10 19:33
美濃理麿の表記は他に美乃理麻呂というものもあります。好字を使ったので同じ表記になったということのようですね。
Commented by チェリー at 2020-07-11 00:41
ありがとうございます。
なるほど、単純に漢字だけで考えない方がいいですね。「美濃」も、「三野」とか「御野」とかの表記がありますものね…と思ったら、「美乃」という表記もあったようです!
壬申の乱の時を考えると、天武天皇の本拠地が美濃だったかもしれないと思ったりしたものですから…
by lunabura | 2020-07-09 20:58 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(3)

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