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ひもろぎ逍遥

7 橘諸兄と聖武天皇 諸兄は皇族を離れて「橘氏」となった


藤原広嗣
を謀反人としたのが橘諸兄(たちばなのもろえ)だった。

広嗣の乱の時、聖武天皇はまるで家出するかのように伊勢参拝に出掛けたが、その直前に出した「広嗣は天下の逆賊である」という勅旨は、橘諸兄に強要されたのではないかという思いがつきまとう。

聖武天皇は勅旨の文言を書き変えられず、実権のない自分を思い知らされたのではないか。

この時、聖武天皇は39歳になっていた。一方、橘諸兄は56歳だった。



さて、広嗣の乱の四年前のことだ。

聖武天皇が橘諸兄に橘姓を与えてそれを寿(ことほ)ぐ歌を詠んでいる。
天平8年(736)のことだった。

この年、皇族の一員だった橘諸兄は臣下に降る決心をし、「橘姓」になる願いを聖武天皇に出した。
その願いが聞き届けられて、それまで葛城王と呼ばれていた王は「橘諸兄」となった。
それは母方の県犬養(橘)美千代の家の姓だった。


その経緯が聖武天皇の歌の後書きに記されている。


天平八年冬十一月、左大弁葛城王たちに姓・橘氏を授ける時の聖武天皇の御製の歌一首
1009番
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
(たちばなは みさえはなさえ そのはさえ えにしもふれど いやとこはのき)
【橘は 実さえ花さえ その葉さえ 枝に霜がおりても ますます緑が栄える目出度い樹だ】

右は冬11月9日、従三位葛城王と従四位上佐為王が、皇族の高名を辞退して、外家の橘の姓を賜う儀式が終わった日に、太上天皇光明皇后が共に皇后宮で宴会を催し、聖武天皇が橘を祝う歌を作られて御酒を橘諸兄らに授けられた時の歌である。

あるいは、太上天皇の御製の歌で、別に天皇皇后の御歌各一首があるともいう。(略)

とあり、この宴は光明皇后の宮殿で行われたことが記されている。この時の返歌は橘諸兄の子供の奈良麿が詠んでいる。













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関連系図を描いてみた。聖武天皇は不比等の孫であり、皇后の光明子は天皇にとって叔母に当たる。二人は同じ年だった。

光明子にとって父方は藤原家で、母方は橘家だ。

この日の宴は光明子の母方の祝い事だった。
橘諸兄が何を意図して臣下に降ったのかは分からないが、和(なご)やかな宴だったことが想像される。

ところが、その翌年に藤原四兄弟が皆死んでしまう。
聖武天皇にとって、四兄弟は後ろ盾だった。参議として自分を支えていた四人が全員いなくなってしまう。

生き残っている参議の一員が橘諸兄だった。聖武天皇は妻の兄である橘諸兄に政治を託した。
橘諸兄は遣唐使たちがもたらした新しい文物で新しい秩序を作ろうとした。
当時の人々にとって、それは魅力的な文化だった。

それを見て、広嗣は我慢ならなかったのだろう。
遣唐使だった吉備真備と玄昉の排斥を進言して大宰府に左遷された。


広嗣がそれでも大宰府から奏上文を送ると、橘諸兄はついに謀叛だと主張した。

聖武天皇は二人に挟まれて難しい立場に陥った。
橘諸兄の押しの強さに自分の立場の弱さを痛感した。

こうして聖武天皇は都を離れた。広嗣の死を知ったのは旅の途中だった。
その時の歌を以前紹介した。


1029番
天平12年10月、太宰少貳藤原広嗣が謀叛を起こして軍隊を出動させたことにより、聖武天皇が伊勢国に行幸された時に河口行宮で内舎人(うどねり)の大伴宿禰家持が作った歌一首。

河口の 野辺に庵りて 夜の経れば 妹が手本し 思ほゆるかも

(かわぐちの のべにいおりて よのふれば いもがたもとし おもほゆるかも)
【河口の 野辺で行宮を営み 何日も夜が経ったので 妻の腕が 恋しく思われることだ】

1030番
聖武天皇の御製の歌一首

妹に恋ひ 吾の松原 見渡せば 潮干の潟に 鶴鳴き渡る
(いもにこひ あがのまつばら みわたせば しほひのかたに たづなきわたる)
【妻を恋しく思って 吾の松原を 見渡すと 潮干の潟に 鶴が鳴いて渡っていく】

この時は、まだ広嗣の死を知らなかった。


今再び読んでみると、聖武天皇の思いが以前より少し理解できた。

この時同行した大伴家持と橘諸兄は共に万葉集の編纂に臨んだという。



さてさて、何気なく開いた万葉集に藤原宇合の名を見つけて、直方市の近津神社にその名があったのを思い出し、確認していくうちに、藤原広嗣の乱の背景を逍遥することになった。

広嗣や遣唐使たちの足跡が福岡にいくつも残っていることも知った。

皆、精一杯に生きた人々だった。

歴史を知る事はレクイエム(死者のためのミサ)でもある、と今回はつくづく思った。

取りあえず、このシリーズを連番で読めるように、「天平の東風 万葉と広嗣の乱」というタイトルにして「万葉と広嗣の乱」のカテゴリに入れることにしよう。

<20200728>






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by lunabura | 2020-07-29 12:01 | 万葉と広嗣の乱 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25
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