2020年 10月 13日
相島の夕日 観測地点
先日、9月20日に相島の横に沈む夕日を撮って投稿した。
普段、海の上にはモヤがかかる日が多く、水平線に沈む夕日など、めったにお目に掛かれない。
その夕日を見ていて、「相島が特別な島だ」という理由に、日没の変化を観測する場所があったのではないかという思いが生まれた。
それで、さりげなく(あつかましく)チェリーさんに観測地点の依頼をブログに置いていたら、さっそく調べてくれた。
メールをいただいたのが、10月8日だったのに、5日も遅れて投稿している。
(チェリーさん、すんまっせん)
今、神功皇后に関するパワーポイントを手直ししていているが、和名類聚抄の中に記された阿曇郷について、志賀島から海ノ中道、そして三苫の海、新宮、花鶴浜、そして宮地浜へと続く海岸線を中心として存在していたのではないか、と想いを新たにしていた。
そこに、ずらりと安曇族の神社が並んでいるのだ。
そして、その海岸線を結ぶ円弧の中心点に相島がある。
海に出れば、必ず視界に入って来るのが相島なのだ。
ということで、チェリーさんからいただいた文を掲載しながら、その成果を載せていこう。
<lunaさん、こんばんは。
秋分の日の入は、福津市福間南4丁目1-3の「龗神社」(うがみじんじゃ)から(神興神社からは相島がみえないようです)。
夏至の日の入は、古賀市の「岳越山」というピークからです。
北方向に相島を望むには、福岡市西公園の光雲神社が良いかとも思ったのですが、ここも直接相島を見ることができません。丘陵の北側にある中央展望広場からの画像となりました。
また、リクエスト等ありましたら、ご連絡くださいね!
※もしもブログに掲載される場合でも、このサイズの画像でOKになりました(国土地理院の地図の利用手続きが大幅に緩和されました)。
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※
チェリーさん、本当にありがとうございました。
この観測法は「誰にも書けなかった邪馬台国」(村山健治)で知ったものだ。
これによって、仲哀天皇の秘密の殯(もがり)の宮を探した時、が忌宮神社から少し離れた丘の上にある理由は、物部氏の天文観測地だったのではないかと推測した。
それなら、禁足地となり、秘密が漏れない場所だと考えらたからだ。
この観測法については、くるま座さんが教えてくれたが、その原本を別の人からいただいた。
こうして、不思議なタイミングで届けられる本は読む必要があるのだろう。
そこには、今月のRKBのテーマとなる「みやま市」のことが書かれている。
この地域は旧「やまと」郡だ。山門郡と書く。
この本を読み始めたが、遺跡がなんと多い事か。
纏向遺跡を40年間掘った学芸員が「纏向からは何も出て来なかった」という証言をしたことを思い出しながら、村山健治の考える邪馬台国を理解しようとしている。
この人がいなかったら、みやま市のおびただしい遺跡は歴史から消えてしまっていた。
あいにく、みやま市の歴史資料館ではそれらを学ぶことはできない。
今、私がやっていることも、今でないと整理できなかったのだという思いが時折浮かんでくる。
ブログ記事では単発的で、分かりにくいだろうが、私にはもう全体が見えている。
これを世に届けるには、途方もない努力がいるが、まだ気持ちは残っている。
最後に、もう一枚。

西公園の中央展望広場から真北を見ると相島が見える。
北にある相島。
これを見て思い起こすのは星のことだ。
神功皇后の時代には北極星がなかった。北は暗黒だった。
その虚空を挟んでツバーンとポラリスが輝いていた。
それを豊玉姫と玉依姫になぞらえて、海神は白玉と青玉を捧げて航海の無事を祈った。
これは、真鍋大覚の記したものだ。
西公園の山の上に立って、ツバーンとポラリスを見つけると、その下に見える島影に豊玉姫と玉依姫を祀る若宮神社があるのだ。
単なる偶然だろうか。
西公園の麓には武内宿禰が城を構えていた。
フィールドワークすると、面白そうなエリアのようだ。
<20201013>
画像の上端に1°刻みの目盛りが付いていますが、いずれも同じ、50mm標準レンズを選択しての撮影になります。福岡市の西公園からが一番離れていますが、結構大きいです。一番島が大きく見える向きみたいですね。
西公園からの画像で、水平線のすぐ下に、グレーの線が見えますが、これが海の中道になります。
素人目で見てですが地図から眺めて、相島こそ天然の良港だと、つくづく思います!
※日没時間の画像も作ってみましたが、暗すぎて島がよく判別できませんでしたので、日中の画像にいたしました。










