2020年 10月 27日
中韓歴史ドラマ 葬送 素服 隋書 日本書紀
「隋書」倭国伝には、倭人の葬送の話が書かれている。
「死者は棺を槨(かく)に納め、親戚は亡骸(なきがら)のそばで歌い舞う。
妻子と兄弟は白布で服を作る、貴人は三年間家の外で殯(もがり)をし、庶民は日を占って埋葬する。
葬送の時には遺体を船の上に乗せて陸地で引く。あるいは輿(こし)に乗せることもある。」
とあり、描かれているのは弥生時代や古墳時代の堅穴式の埋葬法のようだ。
「白服」とは現在のように漂白した白ではないので、麻などのベージュ系の色だ。
西暦600年前後数十年の倭国の葬送の風景だろうが、現実としては横穴石室が作られるようになっている。
また、それから150年ほど経った斉明天皇の時代の喪服が日本書紀に書かれている。
「斉明天皇が斉明7年(661)7月24日に崩御すると、皇太子(天智天皇)は素服を着て称制した。」
福岡県の朝倉市で斉明天皇が崩御した時、皇太子は「素服」を着て、即位の式を挙げずに政務を執ったとある。
この素服とは麻で造った衣なので、やはりベージュ色だ。
中国や韓国の歴史ドラマには、その「素服」がよく出てくる。

わざわざツギを当て、縄で帯の代わりをしている。表裏に着ているのかもしれない。

多分、天智天皇もこのような喪服だったのだろう。

何故か、日本人はこの喪服を記憶しておらず、中韓では記憶に残っているらしい。
と、見る度に思ってしまうのである。
<20201027>
