2020年 11月 20日
夢の小夜島と安倍宗任 まさか。松浦郡司になっていた?
12月4日(金)と12月11日(金)は伊万里市へのバスハイクだ。
その時、宝くじの冨田神社と伊万里神社にも参拝する。
歴史探訪なので、冨田神社が何故宝くじで有名になったのか、なども考察していくが、伊万里神社を調べていて、思考が止まってしまった。
安倍宗任(あべのむねとう)の名が出てきたのだ。
安倍宗任といえば、筑前大島に流刑になっている。
大島には「夢の小夜島」という絵に描いたような小島があるが、その名の由来を尋ねると、宗任の故郷を偲んで、このような景観があったのだろうという思いで、島民が付けたものと聞いた。
もう夢でしか見られない故郷という意味が込められているのだろう。
(夢の小夜島・宗像市大島)
ある時、大島を散策していると、宗任の墓を案内しましょうか、と言われた。
その時、断ったのが惜しまれる。まさか、ここで繋がるとは思ってもいなかったのだ。
そこは安昌院といい、宗任の住居跡でもあったという。
そして、彼が携えていた薬師瑠璃如来像が祀られているという。
一方、伊万里市の伊万里神社は三つの神社が合祀されて出来た神社だが、そのうちの「香橘神社」の祭神が第31代敏達天皇皇子難波王、七世の皇孫葛城王橘諸兄命、伊弉諾命、伊弉冉尊、天忍骨尊となっている。
棒線を引いた三祭神は英彦山権現であり、安倍宗任が松浦郡司として赴任した際に合祀したものという。
何故、東北から流刑になった安倍宗任が英彦山を信仰しているのか。
これで思い起こしたのが、宮地嶽神社の宮司が「私たちは英彦山と深い関わりがあります」という言葉だった。
宮地嶽の阿部氏が英彦山を通じて東北の安倍氏と繋がった。
筑紫の安倍氏が東北で展開するようになり、のちに宗任の時に配流という形ではあるが、里帰りしたと推定していたが、信仰の面からも確認できた。
安倍宗任は大島に流されたと言っても、安倍氏の末裔なら、自由に船で移動できたのではないか、と想像していたが、この安倍宗任が肥前松浦党と深く関わっていくのも、水運がらみで納得できる。
しかし、「松浦郡司」となったというのは、どうなんだろうか。再び朝廷の組織に迎えられたのだろうか。松浦にはその居城もあったということだが、「松浦郡司」となったという史料があれば、見たいものだ。
実は近日、再び大島に渡る。安昌院も訪ねてみよう。
大島の安倍宗任の菩提寺に手を合わせ、伊万里神社で手を合わせれば英彦山に手を合わせることになる。
となると、何となく、ぐるぐる廻りをするような気もしてくる。
安倍宗任も阿倍磐井の遠い末裔になるのだろう。
これも何かの縁か。
<20201120>