2021年 01月 07日
田油津姫 竜座のツバン姫 星を祀る巫女だった?
神功皇后は山門県(やまとのあがた)で田油津姫を討伐した。田油津姫は「たぶらつひめ」と読む。
この「たぶら」とは何か。星の名前ではないかと思っている。
竜座のツバンは「つばな」「とば」「たぶら」など、響きを残しながら変化している。
「たぶら」津姫とはこの竜座のツバン姫という意味と考えられる。
三千年の昔などは、北極星は竜座のツバンだった。
中国の皇帝の象徴に竜を選んだのは、天空でツバンが北極星の座にあり、竜座が北極星を中心にして回っていたからだろうと思っている。
かつて、夜空で不動の座を占めた尊い星の名を田油津姫は授けられた。
田油津姫が土蜘蛛であるということは、手足の長い、すらりとした体格の渡来人だったことを象徴している。彼女が土蜘蛛なら、兄の夏羽(なつは)も、また、母(あるいは祖母)の神夏磯姫(かむなつそひめ)も土蜘蛛だったことになる。
山口県の周防の地の女王だった神夏磯姫は景行天皇の命令を受けて、福岡県の鷹羽(田川)の香春岳の麓に移って開発をした。
景行天皇は各地を回りながら、国の長に対し、まつろうなら婦女に自分の子を生ませ、まつろわぬなら長たち共々殺すという戦法を採っていた。
だから、神夏磯姫が生きているということは、泣く泣く景行天皇の子を生んだ可能性がある。それが夏羽か田油津姫ではないか。
神夏磯姫は周防では「私のような美人は不幸になるから、この地に美人が生まれぬように」と祈ったという。
この人の名は日本書紀に出てくるが、その哀しみに想像が及んだ人は余り見受けられない。
「たぶら」にはもう一つ意味がある。
それは暦を使って占う巫女のことも指したという。
そうすると、田油津姫は星を読み、星に祈る巫女だったのかもしれない。
兄の夏羽は朝廷すなわち景行天皇を恨んでいた。
弥生時代の鉱山開発は過酷を極めただろう。
だから、景行天皇の孫の仲哀天皇が神功皇后を連れて、鷹羽に来た時、夏羽は怒りを隠して接待したに違いない。恐らく、仲哀天皇は普段の朝貢に加えて、新羅戦のためのさらなる朝貢を要求したと思われる。
その後、田油津姫が神功皇后の暗殺を企てた。
その暗殺の場所が古賀市の小山田斎宮だった。
そこには側近中の側近しか神功皇后の周りにはいなかった。
何故なら、仲哀天皇が崩御して間もない頃で、その死を隠していたからだ。
そんな秘密の宮に田油津姫は何故、居ることが出来たか。
その解答は、田油津姫が景行天皇の子であり、仲哀天皇の血縁者だったからと考えると上手く出てくる。
おそらく、田油津姫は人質として香椎宮まで連れて行かれた。
表面上は従順にして、皇后暗殺の機会を狙っていたので怪しまれず、警備の少ない小山田斎宮で実行に移したのだろう。
しかし、暗殺は失敗した。
田油津姫は鷹羽ではなく、山門に逃げた。
そこは婚家だったのではないかと考えている。
しかし、その山門でも、葛築目(くずちめ)という女王が景行天皇に殺されていた。
そして田油津姫もまた、神功皇后に殺された。

その墓は女王塚と呼ばれるようになったが、蜘蛛塚に名称が変わった。
その後ろにある「女王山」は「じょおうやま」と呼ばれたが、遠慮されて「ぞやま」と呼ぶようになった。
後の世に、最澄は鷹羽と山門に寺を合わせて七つも作って、一族の供養をしている。
拙著『神功皇后伝承を歩く』をお持ちの方は、
59 老松神社 みやま市
60 若八幡神社 田川市
に書いています。
『儺の国の星』p56
<20200107>









