2021年 03月 08日
日本書紀を書いた渡来人たち
日本書紀を読んでいて、時々、福岡の地理に暗いなと思う事がある。
書いた人が奈良に住んでいるからだろうかと考えたりした。
また、古代の朝鮮半島の地図が無いと理解できないために、読むのを諦めた巻がある。
日本の天皇の事を省略して読もうとすると、朝鮮半島の事ばかりが書いてあって、訳しても訳しても終わらなくて、途中断念したこともあった。
(「馬上の武人」がソレ( 一一))
(なんで、朝鮮半島のことばかり書いているんだい)
とサジを投げた。
他に、新羅(しらぎ)が百済に総攻撃をかけようとしたとき、新羅の大臣が、「日本の天皇が問題にするといけないので、やめよう。」と他の人を説得する、現場にいないと書けないような話が書かれている。
あるいは、神功皇后の時代、新羅が豊浦宮(下関市)を襲撃した事件は完全に削除されている。
磐井の時代、新羅がいつのまにか伽耶の一部を侵略した事件も削除されている。
一方、百済(くだら)の方も、聖明王が殺されるシーンは、まるで見て来たかのように書かれている。
ここら辺を訳すと、長い長い。うんざりするほどだ。
これら、新羅や百済の記事のボリュームの多さは日本の国書とは思えないほどだ。
私が抱えた、この謎を解いてくれたのが、「季刊 邪馬台国」138号の森博達氏の「『日本書紀』区分論と記事の虚実」という論文だった。
簡単に記すと、日本書紀は中国語で書かれている。(これを漢文というが)
全部で30巻あるので、複数の人が書いていて、α群(アルファ)とβ群(ベータ)に分けられている。
α群は完全な中国語であり、中国人によって書かれた。
書いた人は続守言と薩弘恪という人たちが候補に挙がっている。
続守言は西暦660年の半島の戦いで百済軍の俘虜(ふりょ)となって、日本に献上された。
私が思うに、続守言は存亡の危機にあった百済の国書を預かったのではないかと思う。そして、滅んだ百済の記事を日本の国書に紛れ込ませたのだ。
β群は山田史御方が候補者だ。山田史御方は渡来系の氏族で、学僧として新羅留学し、帰国後に還俗(げんぞく・僧をやめて一般人に戻る)して大学で教えている。
思うに、新羅が悪く書かれていない部分は、新羅留学した山田史の忖度(そんたく)だと考えると、上手く説明できるのである。おそらく、山田史は新羅系渡来人なのだろう。
これで、かなり理解が進んだ。
百済寄りの記事がある巻はα群だし、新羅寄りの記事があるのはβ群なのだ。
わずかしか精査していないが、今までの所、これでうまく説明できる。
私が磐井の所で解釈に困った時、この雑誌をいただいた。
そして、この巻は中国人が書いているために、日本語が理解できずに記事が混乱している事が分かった。
困った時に貰った本。
こんなシンクロがあると、見えない世界が応援してくれているようで、嬉しい。
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