2021年 06月 10日
「ワダツミ」のケルト版か
今日は藤枝守氏とお茶を飲みながら話をした。
今月には「八雲の向日葵」(小泉八雲のひまわり)が発表される。
藤枝氏は東京から福岡に引っ越しして、志賀島に出会い、その神々の物語をオペラにする衝動が生まれたらしい。氏は恐らく、神々に招かれたのだろう。
今回の「八雲の向日葵」も、ラフカディオ・ハーンが日本に来て「小泉八雲」と名乗り、私達の国の物語を採集してくれた、そんな流れの中に存在している。
「うなさか」という言葉に触発されて生まれた今回の作品は、おそらくワダツミの物語のケルト版なのだろう。
「うなさか」で私達が思い起こすのは、豊玉姫が子を残して戻って行く時に閉じた海の門。
糸島。二見岩。
いずれも海に通じる門。
この単語は何人もの人を巻き込んで、戯曲へと昇華しようとしているようだ。
藤枝守氏は志賀島をテーマにオデユッセイのように、これからも壮大な物語を語り続けるのだろう。
2018年の冬至の日に演じられた「イソラ2018」の時に「次の脚本は綾杉さんに」と言われた。
そしてある日、その全容が私の中で形になった。
これが演じられるかどうかは、神まかせ。そう思った。
ただ、生まれた物を藤枝氏に伝えていた。
それが、来年には形になろうとしている。
演題は「玉垂」。
あの「イソラ2018」の海の底の世界をもう一度感じたい。そう思って作った安曇磯良の物語。それが「玉垂」だ。
それが、現実化する感触を今日は得た。
そして、さらには前回、会った時に出て来たのが仲哀天皇の琴の物語。
そのテーマを頂くと、私の中では完成した形がただちに生まれた。
今日は、それを紙に落とし、話すためのお茶飲みだった。
これを渡したとたん、今度は藤枝氏の中で琴の音が響き渡ったらしい。
「ものごと」が生まれる瞬間。
それは神と通じる瞬間でもある。
それを目撃するのは何よりの喜びだ。
多分、藤枝守氏はワダツミの神のオデユッセイを、あるいは志賀島のオデユッセイをこれから壮大な戯曲にして少しずつ語るのだろう。
今回の「八雲の向日葵」もその一部だ。
あの「イソラ2018」を共有した皆さん。あるいは行けなかった皆さん。
再び、あの幽玄の世界で共に過ごしましょう。
私は「森本能舞台」と「箱崎水族館喫茶室」の二つを鑑賞する予定です。
ちなみに、パンフレットの画像は志賀島の沖津宮で撮ったものだそうです。
ひらめいた一瞬を切り取ったものだとか。
イラストでは表現できない世界です。












