2021年 12月 20日
「磐井をたずねて 第二回」は「磐井残党が蜂起した」 その目次のご紹介
「季刊 邪馬台国」の141号の発売日が2022年1月4日に決まりました。

連載中の「磐井をたずねて」は第2回となりますが、タイトルは「磐井残党が蜂起した」です。
磐井の乱そのものは良く知られていますが、その数年後に磐井の残党たちが蜂起して、再び物部軍と戦った話は語られません。
この話が朝倉市の杷木(はき)神社に伝わっています。
最初は磐井の残党軍の方が形勢有利でしたが、物部軍が杷木神社に祈願したのち、逆転したことが記されています。
それについて詳細に考察したものが、第二回のメインテーマになります。
目次を記しておきますね。
第二回 磐井残党軍が蜂起した
物部麁鹿火は娘婿を大伴金村に殺された
大伴金村の任那四県割譲事件と物部麁鹿火
磐井君は水城を築いたという
木樋は「根太樋」と呼んだ
小水城の成り立ち
西暦473年に筑前大洪水が起きた
放射線炭素測定結果は一応OKだった
天智天皇は「疎水」を造ったという
小倉区徳力の物部氏は麁鹿火側についた
香月文書に記された磐井の子・北磐津と辛亥年
磐井の残党が蜂起した
青人と土蜘蛛も蜂起した
官軍の拠点は
葛子夫人は殺された
糟屋屯倉の候補地
鹿部田淵遺跡は葛子の時代
神代に放ち給うた馬の牧跡
「ししぶ」の由来と牡牛座「猪鹿星」
同じ水系にある船原古墳
阿恵官衙遺跡と葛子君の墓
夷守駅と志珂郷
以上です。
杷木神社の縁起では、磐井残党軍の拠点は筑紫と豊(とよ)にあったことが書かれています。
バスハイクで今探訪している豊の国は、実は磐井に味方した豪族の痕跡探しも兼ねています。
負けた豊前の豪族はどうなったか。
今探訪している屯倉群は葛子の糟屋屯倉献上の数年後の話なのです。
リアル歴史を歩いています。(*^-^*)
<20211220>
(相変わらず、エキサイトのプレビュー画面と実際の投稿画面が違っています。直しても、反応しないので、見づらいですね)









