2022年 05月 17日
28 脊翁律(せおりつ)5 阿知面浦と宗像神社の御旅所 神々が固め直す前に
糸島市から福津市へ。
福岡県の西から東の方へ、私達は向かった。
アチメ浦は福津市の東の端、隣はもう宗像市になる半島にある。
その手前で白亜のホテルが見え出すと、菊如が「私、何時も来てる!」と言った。
そこは夕陽を見るために菊如が良く訪れている所だった。
さらに東に進むと、今度は崋山が「私が、最近夕陽を見に来てるトコじゃん」と言う。
最近、崋山はこの防波堤によく来ていたという。
そして、私は私で、古代史の連載でここを書いた…。
どうやら三人のアンテナはそれぞれに、こちらに向いていたのだった。
アチメ浦は以前と違って、ギリギリの所まで店が出来ていた。
風は相変わらず強い。上着を車の中に置いて来たことをちょっと後悔した。
石がゴロゴロしているので、歩くのも難儀する。
潮騒は大きい。

狭い海峡。
目の前に見える島は勝島。
古墳時代、地震によって陸が沈んで海峡になったと、真鍋が言う所はおそらく、ここのことだろう。
勝島の奥に見えている島が大島だ。
意外に近い。
右側の断崖も、地震で崩れたのだろうか。
かつては神功皇后がここで「肉落(ししお)ちのミソギをした」という。
厳しい荒磯。
神功皇后の時代は、海峡が無く、別の光景が広がっていたのかもしれない。
そして、舟人たちが海の安全を祈るワダツミ社があったかもしれないが、今は痕跡もない。
崋山は断崖絶壁を見上げながら、セオリツの痕跡を探していた。
断崖の上には、宗像大社の「みあれ祭」の時に、三つの神輿が揃って神事が行われる御旅所があるはずだ。
大島に渡る時には、フェリーを待つ間、私達はよくそこで過ごした。
菊如が好きだという岬だった。
菊如が「御旅所に行こう」と言った。
ここから宗像市に出る道もあった。
狭い道を通ると、例の御旅所の鳥居の前に出た。

御旅所の広場に上がったが、崋山は祠の方には行かない。
入り口の木の根元に陣取った。
そこで始めるという。
まもなく、烏帽子を被って装束を着た男神が崋山に懸かった。
私は尋ねた。
「どなた様でしょうか」
「私はセオリツ。三体に分かれた。
我々は女神として、そして男神として。そして大きな1つとして、三体。
私はセオリツ。男神の形としてこちらに。
あの祠には女神はおらんぞ。
私がずっと入っていた。
ここの神は最初から女神なぞはおらん。
もともとは二女神とイチキシマヒメ。
まあ、思っていたものが入っていなかったとして、思いは同じ。
この国の人々、この国、そしてこの国から繋がるいろいろな国の人たち、そしてこの地球という大きなもの。
それが上手く回るように、様々な神々がいるが、それはそなたたちも話していたように、人間が思い願うこと、その思いに呼応してそれぞれの神が成り立つ。
神というものは様々なものに姿形を変えることが可能で、そういう意味では八百万の神たちも、ほんとにあの姿をしているのかどうかは大きな問題ではない。
神々が、自分たちが作り上げたこの国、そしてこの地球と言うものを壊す前に、固め直す前に、少しの願いの元、まだ人間は信ずるに値するのか、そのお試しが今、様々な者たちによって行われているということ。
そなたたちはあの電波を通じて、様々なものを見ておる。
今世界的な規模で行われているこの疫病。
最初はその疫病に恐れおののいていたが、今ではどうだ。その疫病を知ることにより恐怖というものがなくなった。そうやって人類は進化していった。
今ここにきて何を知るか。何を得るか。
また元の位置に戻り、今から各々が各々を固め直す時期。
神々にしかできない事は神々に任せれば良い。
そしてその神々が出した答え。それを受け入れるだけじゃ。
そなたたちは何ができるか。
各々が今立っている場所にいて何を見て、何を考え、そして何を発信していくのか。
そして何を後世につなげるのか。
そうやって奏でる音楽のように流れ、時は時を越え、魂の旋律は永遠に続いていく。
その風がなびく様に流れた旋律。
それが現在から未来へと。
それを知った者たちが後世に何を伝えていけるのか。
各々が立ち止まり考える時。
それを持ち、またそなたたちのように心ある者たちが育っていく。
すべては流れていく。
その流れにあらがうことなく、今一度できることを。
これが、私がセオリツとして見届けるよう、天から命令されたことだ」
<20220517>








