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ひもろぎ逍遥

28 脊翁律(せおりつ)5 阿知面浦と宗像神社の御旅所 神々が固め直す前に



糸島市から福津市へ。

福岡県の西から東の方へ、私達は向かった。


アチメ浦は福津市の東の端、隣はもう宗像市になる半島にある。


その手前で白亜のホテルが見え出すと、菊如が「私、何時も来てる!」と言った。

そこは夕陽を見るために菊如が良く訪れている所だった。


さらに東に進むと、今度は崋山が「私が、最近夕陽を見に来てるトコじゃん」と言う。

最近、崋山はこの防波堤によく来ていたという。


そして、私は私で、古代史の連載でここを書いた…。


どうやら三人のアンテナはそれぞれに、こちらに向いていたのだった。


アチメ浦は以前と違って、ギリギリの所まで店が出来ていた。


風は相変わらず強い。上着を車の中に置いて来たことをちょっと後悔した。


石がゴロゴロしているので、歩くのも難儀する。

潮騒は大きい。





28 脊翁律(せおりつ)5 阿知面浦と宗像神社の御旅所 神々が固め直す前に_c0222861_18030206.jpg


狭い海峡。

目の前に見える島は勝島。


古墳時代、地震によって陸が沈んで海峡になったと、真鍋が言う所はおそらく、ここのことだろう。


勝島の奥に見えている島が大島だ。

意外に近い。


右側の断崖も、地震で崩れたのだろうか。


かつては神功皇后がここで「肉落(ししお)ちのミソギをした」という。

厳しい荒磯。


神功皇后の時代は、海峡が無く、別の光景が広がっていたのかもしれない。


そして、舟人たちが海の安全を祈るワダツミ社があったかもしれないが、今は痕跡もない。


崋山は断崖絶壁を見上げながら、セオリツの痕跡を探していた。



断崖の上には、宗像大社の「みあれ祭」の時に、三つの神輿が揃って神事が行われる御旅所があるはずだ。


大島に渡る時には、フェリーを待つ間、私達はよくそこで過ごした。

菊如が好きだという岬だった。


菊如が「御旅所に行こう」と言った。


ここから宗像市に出る道もあった。

狭い道を通ると、例の御旅所の鳥居の前に出た。







28 脊翁律(せおりつ)5 阿知面浦と宗像神社の御旅所 神々が固め直す前に_c0222861_18035611.jpg



御旅所の広場に上がったが、崋山は祠の方には行かない。

入り口の木の根元に陣取った。

そこで始めるという。


まもなく、烏帽子を被って装束を着た男神が崋山に懸かった。


私は尋ねた。

「どなた様でしょうか」


「私はセオリツ。三体に分かれた。


我々は女神として、そして男神として。そして大きな1つとして、三体。


私はセオリツ。男神の形としてこちらに。


あの祠には女神はおらんぞ。

私がずっと入っていた。


ここの神は最初から女神なぞはおらん。

もともとは二女神とイチキシマヒメ。


まあ、思っていたものが入っていなかったとして、思いは同じ。


この国の人々、この国、そしてこの国から繋がるいろいろな国の人たち、そしてこの地球という大きなもの。


それが上手く回るように、様々な神々がいるが、それはそなたたちも話していたように、人間が思い願うこと、その思いに呼応してそれぞれの神が成り立つ。


神というものは様々なものに姿形を変えることが可能で、そういう意味では八百万の神たちも、ほんとにあの姿をしているのかどうかは大きな問題ではない。



神々が、自分たちが作り上げたこの国、そしてこの地球と言うものを壊す前に、固め直す前に、少しの願いの元、まだ人間は信ずるに値するのか、そのお試しが今、様々な者たちによって行われているということ。


そなたたちはあの電波を通じて、様々なものを見ておる。


今世界的な規模で行われているこの疫病。


最初はその疫病に恐れおののいていたが、今ではどうだ。その疫病を知ることにより恐怖というものがなくなった。そうやって人類は進化していった。



今ここにきて何を知るか。何を得るか。

また元の位置に戻り、今から各々が各々を固め直す時期。


神々にしかできない事は神々に任せれば良い。


そしてその神々が出した答え。それを受け入れるだけじゃ。


そなたたちは何ができるか。


各々が今立っている場所にいて何を見て、何を考え、そして何を発信していくのか。


そして何を後世につなげるのか。


そうやって奏でる音楽のように流れ、時は時を越え、魂の旋律は永遠に続いていく。


その風がなびく様に流れた旋律。


それが現在から未来へと。


それを知った者たちが後世に何を伝えていけるのか。


各々が立ち止まり考える時。


それを持ち、またそなたたちのように心ある者たちが育っていく。


すべては流れていく。


その流れにあらがうことなく、今一度できることを。


これが、私がセオリツとして見届けるよう、天から命令されたことだ」


20220517




by lunabura | 2022-05-17 18:05 | ヒカリ | Comments(0)

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