2022年 06月 13日
鬼塚と御許山遥拝地 磐井の供養に関わったのは秦氏か水沼族か
前回、6月のバスハイクの案内で、福岡県築上(ちくじょう)町の、
継体期に鬼の頭を埋めた「鬼塚」と鬼の手足を埋めた「厳島神社」に少し触れましたが、チェリーさんが早速調べてくれました。

鬼塚 画像出典
「山の信仰|信仰|まつり・伝統芸能・信仰|築上町歴史散歩ホームページ(chikujo-rekishi.jp)より
「鬼塚」は干潮になると歩いて渡れる小島にあります。
そこは、ガイドさんと待ち合わせしている金富神社の海にあるのですが、現在は周辺が埋め立てられています。
位置関係から、金富(きんとみ)神社はこの鬼塚を遥拝するような関係があったのでは、とにらんでいます。
金富神社はウィキペディアによると、
「神亀元年(724年)宇佐に八幡神を祀る神殿(宇佐神宮)を造営するにあたり、神託により当地で斧立(おのたて)神事を行った。
その際に仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の3神を勧請して創建されたと伝えられるが、それ以前から宇佐八幡宮の元宮、若しくは霊地であったという説もある。」
ということで、宇佐神宮の元宮に当たる説があるんですね。
宇佐八幡に祀られている謎の比売神は、各地を回った結果、三女神に間違いないと思っています。
宇佐八幡宮に何故、三女神が祀られるのか、という謎について、金富神社が元宮で、もともと三女神を祀っている所に応神天皇が加わったと考えると、流れがスムーズになります。

チェリーさんの調査では、そこから御許山が見えるというのです。
しかも、有意な角度。
御許山こそ、三女神の聖地。
磐井に三女神信仰が絡んできました。
また、すぐ南に厳島神社があるのですが、三女神が祀られています。
そして、そこには鬼の手足が埋められた。
これは一体何を意味するのでしょうか。

しかも、三女神を祭祀した二つの宮はいずれも御許山を遥拝していて、冬至の日の出方向に当たるんですね。
明らかに、比売神信仰と太陽祭祀に関わる聖地に磐井の頭や手足を埋めて供養した一族がいるのです。
それは誰か。
太陽祭祀が得意な物部氏は戦った敵方になったので、公に供養は出来ません。
すると、太陽祭祀が出来る氏族とは?
例えば、秦氏が自分達の聖地に磐井を祀って供養した、という可能性もあります。
あるいは、三女神を祀る水沼(みぬま)の君か。
聖地というのは、他の氏族が入り込むわけにはいかない所です。
そう言う意味では水沼族の可能性が大きい。
磐井の乱で磐井の味方をした豊前秦氏は敗戦後、南に下って宇佐神宮の創建に関わったという話もあります。三女神と全く無関係でもないようです。
さらに安心院(あじむ)まで下ると、筑紫君は水沼の君だと書かれています。
やっぱり、水沼族なのだろうか。
水沼の君の聖地、久留米市の赤司八幡神社。
同じ久留米市の三潴(みずま)の大善寺玉垂宮。
後者では女神信仰に玉垂命信仰が上書きされた。
その結果、筑紫君が水沼君から安曇族へと変わった可能性があります。
でも、両者は分離しようとしても分離できないのかもしれない。
いったい何が明らかになろうとしているのでしょうか。
取りあえず、備忘録として、書いておきます。
カテゴリは何処に入れようか。
一応、「磐井の末裔たち」に入れておこう。
バスハイクでは、晴れたら現地から御許山が見れそうです。
で、チェリーさんの画像を貼りつけておきました。
まさか、御許山が遥拝できるなんて、楽しみですね。
沖ノ島と同じ、三女神遥拝じゃん。どういうこと?
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