2022年 06月 26日
面白かった船迫窯跡遺跡と求菩提ボランティアガイドさんたち
昨日のバスハイクは、雨が降ったり止んだり、風も吹いたり止んだりして、不安定な気候でした。
でも、タイミングよく止んでくれたりして、面白いエリアを巡ってきました。
船迫(ふなさこ)窯跡遺跡は築上町にありますが、国指定なので、期待は大でした。
で、実際に、かなり面白い所でした。
ここの特徴の一つに、古墳時代に大きな甕(かめ)を焼いた工房があった所に、寺院文化が始まると、瓦を造るようになった点があります。
土を採る場所のすぐ横に、乾燥用の巨大な建物(30メートルの長さ!)を造り、次の行程用の建物がすぐ隣に建てられていました。
そして、登り窯も目の前の丘に造られていたのです。
土取りから完成までの施設が、すべて揃って出土しているんですね。
瓦は福岡市の鴻臚館式の瓦も焼いていました。
鴻臚館の瓦を焼いたのではなく、その形式を踏襲したものを焼いたということです。
屋根を飾る巨大な鴟尾(しび)も造られました。
鴟尾は大きすぎるために、百済では二つに分割して焼いて、あとで繋ぎ合わせていますが、船迫では分割せずに一つにして焼いており、まだこのような造り方は他では出土していないそうです。
一つの鴟尾で500キロ!
二つの完成品を得るためには、八つは焼いただろうということでした。
運搬中に壊れないかと、これも心配ですね。

鬼瓦が太宰府出土品と似ている件も尋ねました。
すると、太宰府で使われた版木が豊前に貸し出されて、船迫で製作されたということでした。
別々の所で出土した瓦の傷が一致する事から、同じ版木だと分かったとか。
豪族が寺を建立する時には、すぐ近くで瓦工房も造ったそうです。
古代の物流が思ったよりもダイナミックに行われていたんですね。
また、香春岳では鉄鉱石が採れていた話も聞きました。
豊前では砂鉄が採れていたのですが、チタンが多くて良質では無かったけど、頑張って製鉄したとか。
これを聞いて思い出したのが、志賀島の砂鉄もチタンが多いので、製鉄が発達せず、良質な砂鉄が採れる糸島の方で発達した件です。
25基でしたか、糸島市の、九大が移転した所から製鉄遺構が出土して大騒ぎになりました。
ただ、それ以降は放置されているという話を数年前に聞きました。
あの、重要な遺跡はどうなったかな。
国指定になってたら、放置されなかったでしょうが。
で、継体期に殺された鬼神に関わる鬼塚、厳島神社、鬼の木も求菩提(くぼて)山のガイドの方に案内していただきました。ガイド無しでは全く行けなかった場所でした。
で、五名のガイドさんと聞いていたのですが、九人も待ってくださっていました。
場所ごとに別の方が説明され、バスの中も毎回違う方が乗り込んで、鬼の民話を昔語りして下さいました。
みなさん、プロ。
バスの助手席が「動く舞台」になりました。
これこそ、おもてなしですね。
皆さんの地元愛、しっかり伝わりました。
これほどの事をしていただいたから、もう一度行かねば、という気持ちになりましたよ。
先々行くのは、磐井が鬼神として祀られているという鬼神社ですが、夏が終わって涼しい季節に企画しようと思っています。
鬼が死んだという「鬼の木」では、バスから降りたとたん、土砂降り。大風。雷。
もう、傘も差せないほどの荒れ方でした。
大歓迎だったと思いました。
るな的には、ここが磐井が戦って亡くなった所だと確信しました。
何故、そう思うのか。
それは『季刊邪馬台国』の七月号に延々と書きました。
ブログで書くのはちょっと無理かな。
船迫窯跡も、もう一度行きたいという方が多かったので、また機会があったら企画したいと思います。
7月23日(土)は糸島です。
8月は26日(金)に決まりました。
<20220626>