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ひもろぎ逍遥

櫻井神社 神窟・岩戸神社にはワダツミの神が祀られていると書かれていた



糸島市の櫻井神社は「櫻井」という名から全国規模の人気の神社のようですね。


幽玄な雰囲気を醸し出す古社の趣があって、私も大好きですが、創建は江戸時代です。


慶長15年(1610)に、そこにあった古墳が開口しました。


その半年後、近くの女性に神託があって、五年間五穀を絶ってお茶と酒だけで過ごして、神託を告げるようになったといいます。その人の神託を受けたのが黒田忠之公で、そのご縁で神社が創建されました。


これらをちょうど、貝原益軒が目撃していて、「筑前国風土記」に詳しく書いています。

その辺の話は過去記事に五回ほど分けて書いているので、今日は省略しましょう。


それで、古墳は「岩戸神社」と称され、その前に拝殿などが造られました。


古墳の前にも同様な山があったのを切り崩して平らにして造営したというので、もしかしたら、そこにも古墳があったのかもなあ、と貝原益軒を読み直しながら、思いました。





櫻井神社 神窟・岩戸神社にはワダツミの神が祀られていると書かれていた_c0222861_12554981.jpg

で、この古墳の中には、年に二度ほど入って参拝できる訳ですが、私も一度参拝しました。


そして、ふと、どなたに拝礼したのか、それが気になりました。


櫻井神社の神は神社のHPによると、

「神直日神(かむなおひ)、大直日神、八十枉津日(やそまがつひの)神」となっています。


で、岩戸神社もその神々と古墳の被葬者だろうと思っていたのですが、バスハイクの資料を見直していると、「福岡県神社誌」には

<岩戸神社 祭神 大綿積神>

と書かれていたのです。


ちょっと驚きました


古墳の中に祀られている神は大綿積神だったのです。

ですから、ワダツミの神に参拝したのですね。


古墳の被葬者はワダツミの神とは関係ないので、恐らく、神託によって祀られたんでしょう。


この古墳は石組がとても丁寧に積み上げられていて、今だに、その仕事ぶりが心に浮かびます。


入り口は狭くて短い羨道の先に、すぐに祭壇の机が置かれていて、その手前に座りました。


横に二人か三人(記憶が曖昧)座ってやっとの広さでした。


前方には垂れ幕が張られていたので、全容は分からなかったのですが、天井を見上げると、持ち送り式の石組がとても丁寧に組まれていました。


古墳を沢山見た現在の私なら、もっと詳細に観察できたでしょうけど。


あの美しい石組を思い出すと、被葬者が気になります。


志摩国には元岡に大きな製鉄集団もいたし、古墳もありました。

また、来目皇子が新羅征討に向かう時の兵営を支える大きな組織があったはずなんですね。


だから、櫻井神社の古墳も相当な人物だったろうと思うのですが、考古学的な調査は入っていないのでしょうか。


出土物も重要なものがあったでしょうが、いったい何処に行ったのやら。


神社が所蔵しているかと思っていたのですが、「ある人物からある組織に渡された」という話を聞きました。


その話の出所が確認できていないので、ブログには書きませんが、バスの中では話しますね。


実は、このブログで想像したことが、あたかも史実かのように他のブログで書かれたりしているので、未確認のものは書くのをやめときます。


7月のバスハイクでは古墳の中には入れませんが、外からは見ることができます。


さて、古墳の手前の拝殿には禊祓(みそぎはらい)の神々が祀られています。


そして、二見ケ浦の二つの岩は「宇良宮」と言い、「イザナギ命、イザナミ命」が祀られています。


こちらは櫻井神社の境外社になります。

とてもダイナミックな祭祀圏です。


櫻井神社の正面の山には桜井大神宮があって、伊勢神宮の内宮と下宮が一緒に祀られています。


ここの風情が古式そのもので、また素晴らしいです。


黒田忠之公の父は黒田長政公。キリシタンだったんですね。


その父との軋轢と、お家騒動についても、ブログには既に書いていますが、バスの中で改めて紹介したいと思います。


20220717




by lunabura | 2022-07-17 12:57 | 桜井神社・糸島市 | Comments(0)

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