2022年 07月 26日
第3回 豊前の鬼会は磐井の御霊を封じる神事だったのか
季刊「邪馬台国」の142号は一月遅れで8月号として店頭に並びます。

今回の「筑紫君磐井をたずねて 第三回」は
風土記に書かれた磐井の死地、豊前(ぶぜん)について、フィールドワークして、その推定地に辿り着く内容になりました。
磐井の乱の後、豊前には五つもの屯倉(みやけ)が設置されましたが、豊前の支配層にいたのは物部氏と秦氏でした。
物部氏は二度の磐井の乱で戦って功績を挙げたにも関わらず、圧力を受けて屯倉を接収されたようです。
また、求菩提山(くぼてやま)の鬼神社の鬼神について、継体期の鬼で、偉大な存在だったという事などから、磐井君の事ではないかと推定しました。
風土記に書かれた豊前で死んだ話を裏付けるような伝承が地元に残り、それが鬼伝承として伝わっていると考えられます。
まさか、私もこのような伝承に出会えるとは思っていなかったので、とても感動しました。
歴史に出て来る物部尾輿の父が京都郡(みやこ)にいた話、秦氏の到来地についての具体的な場所の検討など、広範囲な話になりましたが、これら全体が磐井君の支配域と考えると、省略できない内容でした。
行橋市では「いっぱい書いとるねえ」と言われましたが、はい、2万文字です。今回もいっぱい書きました。
以下に目次を出しておきますね。
142号は「馬」がテーマです。
私も読むのが楽しみです!(^^)!
第3回 豊前の鬼会は磐井の御霊を封じる神事だったのか
伊甚国造の稚子は贖罪として屯倉を献上した
国造の味張は拒否し、県主の飯粒は献上した
物部尾輿は被害者なのに胆狭山部を献上した
物部尾輿の父が大明神として祀られていた
豊前の湊を開発した物部氏
物部尾輿の父はみやこ町に住んでいた
椿市と椿市廃寺と秦氏
秦氏の渡来と功満王、弓月君親子
救援に向かったのは武内宿禰の子や孫
秦氏を迎えた湊は何処か
豊前の秦氏
安曇族が残した豊玉姫伝説と禊の風習
苅田町の古墳群と有力豪族
自己矛盾する『日本書紀』に困ってしまう
七つの屯倉をたずねる
穂波屯倉と王塚古墳と穂波郡司
鎌屯倉と沖出古墳と嘉麻碓井王
桑原屯倉を守護した桑原神社
我鹿屯倉を守護した我鹿八幡神社
肝等屯倉と石塚山古墳、御所山古墳、恩塚古墳
大抜屯倉は貫庄にあった
滕碕屯倉は門司にあった?
隋書に書かれた秦王国とは
磐井君が鬼神社に祀られている?
鬼神とは「継体期」の「深秘の尊体」だった
鬼神社
「異奴」とは「偉大な存在」
豊前をまわって
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