2022年 09月 13日
万葉3191 木綿間山を越えるあなたなんか 忘れてやるわ
万葉集 3191番
よしゑやし 恋ひじとすれど 木綿間山 越えにし君が 思ほゆらくに
(よしえやし こいじとすれど ゆふまやま こえにしきみが おもおゆらくに)
(るな訳)
【もういいわ あなたのことなんか想わない、と思うけど 木綿間山を越えたあなたが もう恋しい】
好きな人が旅立ったので、娘は「もうあんたなんか忘れてやる」と思ったが、木綿間山の急な山道を登っていると思うと、もう恋しくて仕方がなかった。
古代の人にとっては、愛する人が旅立てば、連絡も取れず、二度と会えないかもしれない別れになる。
忘れたくても忘れられない想い人への気持ちがよく伝わって来る歌だ。
娘の想い人が登っている木綿間山(ゆふまやま)とは、宗像市と遠賀郡岡垣町の境に聳える湯川山(ゆかわやま)のことだ。
その峠は垂水峠という。
木綿間山を湯川山とも言うのは、昔、谷に温泉が湧いていたからだそうだ。

「筑前国続風土記」の遠賀郡上を詠んでいると、「木綿間山は万葉の歌によみたる名所なり。」と書かれていたので探してみると、上記の歌だった。
昔は歩いて登る難所越えの道だったが、今は国道495号線が走っている。
岡垣町から車で走ると、カーブがきつい上り坂だ。
峠を過ぎると、やや勾配の緩い下り坂になって宗像市に出る。
この歌は東で詠まれたのだろうか、西で詠まれたのだろうか。
そんなことを考えた。
想いを巡らすと、岡垣町には「ゆふま」という題の郷土誌があり、この言葉が現代にも息づいていた。
木綿(ゆふ)とは楮(こうぞ)の皮を繊維にしたものだ。
だから、岡垣町の方から詠んだ歌ではないかと思った。
峠道の厳しさが歌から伺えるのも、その理由の一つだ。
地元の青年が何らかの用事で木綿間山越えをすることになったが、娘はそれを止めることが出来ず、人知れず悩んだのだろう。
「筑前国続風土記」を見ていると、岡垣の手野村には鋳物師の須藤駿河という人が住んでいたことが書かれている。
この人があの「高倉神社の毘沙門天」を立てた人だ。1491年のことになる。
須藤氏は、香月氏の杉守神社に立つ「鉄の鳥居」も造っている。
この鉄の鳥居は赤く錆が吹いているが、腐食はせず、かなり高度な技術で造られているのが分かる。
この鳥居は芦屋から船で運ばれ、陸の6~700mは次郎太という力持ちの男が鳥居の柱を一本ずつ抱えて運んだと書かれている。
須藤氏の住んだ手野村には大国主神社がある。
鉄や銅の技術に優れた須藤氏の氏神だったのかもしれない。
手野村はおそらく奈良時代にも、既に栄えていただろう。
上記の歌を詠んだのは、田野村の娘かなあ、と秘かに考えたりしている。
<20220913>









