2022年 10月 13日
ウズ1 勝守神社 ご神体石に刻まれた三柱の神の謎
2022年10月10日。
毎年、10月10日は歴史的な謎を解く日として動いている。
今年は直前まで動きがなかったが、その二日前に、飯塚市から嘉麻市方面に行く話が決まった。
嘉麻市は日本武尊と熊襲の戦いにちなむ場所だった。
これはまた機会があれば記録したいと思う。
この日、もう一か所回ることにし、今回は私の望みで、待ち合わせ場所に近い飯塚市の宮地嶽神社に行った。
私はここに祀られている三人の内、勝守だけが略歴も分からず困っていた。
図書館に行ったが分からず、総本社の福津市宮地嶽神社に尋ねに行ったが、そこでも分からなかった。が、あきらめきれなかった。
その後、いくつかの情報が入ったが、それをブログに挙げようとしても、気が進まず放置した。
この日、待ち合わせ場所が勝盛公園の近くだった。
「ここに行きたい」と珍しく私は自分の願望を伝えた。
私と崋山だけが勝盛公園内の宮地嶽神社に向かった。
ここは別名、勝守神社とも言う。勝盛公園の名も勝守から来ている。
石祠の中の神体石だ。
左右の勝村、勝頼大神は葛子の子で、福津市宮地嶽神社の祭神と分かっている。
中央の勝守とはいったい誰なのか。
この日、私は「勝守が誰なのか、教えてください」と手を合わせた。
こうしておけば、偶然手に取った本などに情報が書かれていたりする。
私はそれを期待した。
崋山が石に手をかざすと、「ここにはいない。何も感じない」と言った。
ま、そんなものだろう。
ところが、崋山が腰をかけて瞑想を始めると、急に大風がゴーッと大きな音を鳴らして吹き出した。
(神が風で応えてくれた)
と思いながら、私はリュックから上着を取り出して着込んだ。
崋山は瞑想したままだ。
そして、繋がった。
崋山が語り出した。
「さあ、私に何が聞きたい」
それは年老いた男性で、声が出しづらそうな、こもった声をしていた。
私は尋ねた。
「あなたは勝守さんですか」
「ん」
男性はうなずいた。
「姓は何というのですか」
「イダ。井戸の井、田んぼの田で井田」
「勝守さんは葛子ですか」
「いや」
「鞍橋(くらじの)君と呼ばれましたか」
「いや」
いずれでも無いとしたら、いったい誰なんだ。
私は困った。
勝守が促した。
「何か聞きたいことがあるのであろう?」
「この石に刻まれた勝村、勝頼さんと、どういう関係があるんですか」
「血のつながりが無い兄弟だ。飯塚の宮地嶽に三兄弟で住んだことがある。
我が先代の宮司に、井田家より宮司の嫁として入ったのが我らの祖母であった」
「あなたのおばあさんがここ、宮地嶽に嫁がれた訳ですか」
「ああ。我が祖母は神降ろしの力があった。その力を借りて宮地嶽の宮司は信仰を広めた。
祖母は神降ろしをし、また神の言葉を聞き、宮司に伝え、世の中の方向性や神事、神との通信を行った。
神事、神降ろし、結界、この国また様々な神社仏閣がつながるような建立、そういうのを一気に話していた。
それにより宮地嶽というのは広まっていき、多くの人たちが来るようになった。
宮地嶽は何故このようにいまだに繁栄を続けるかと言うと、それを我が物にすることなく、周りの人たち、また様々な人たちが日の光を浴びて暮らせるように、様々な陰(かげ)の身となって結界を作り、人間一人ひとりの事というよりは、この国、この地域を、外から来るものたちから守る場としたからである。
九州全体に広がる結界を、渦を巻くように守り固め、始まりとして宮地嶽が中心となって動いた。
それによりいまだに人々が行き、また神が降りる場所として栄えておる。
今の世の中を見てわかるとおり、形はあっても、神社がもう、神と繋がる場所としてはその役目を果たしておらぬ所もある。
祖母の力で世に貢献することをやってきた。
宮地嶽はその流れの切り替わり時、宮地嶽が宮地嶽として転機を迎えるにあたり、新しき神事として取り入れた。
それにより繁栄し、ここにひっそりと我が名前を残す。ただ、こうやって今ここに我が名を残す必要はなかった。
なぜこの場に、この場でと言うと、まだまだ我が祖母が世に認められてない頃、我ら三人はこの場所にいて約束事を交わした。
この場所は祖母が神降ろし口寄せをする場所。
それを宮地嶽としては祖母が亡くなった後、我らが契りの場として関わったこの場を形として残すべく、我々の名前を刻んだ。それがこの場所だ」
古墳時代、ちょうど磐井の時代に力のある井田家の巫女がここに嫁いできたという。勝守はその孫世代になる。
勝守は勝村、勝頼とは血は繋がっていないが、兄弟として育てられた場所だという。祖母が亡くなったあと、三人は契りの場所として石に三人の名を刻んだ。それが飯塚市の宮地嶽神社だった。
<20221013>
つづく