2022年 10月 14日
ウズ2 九州に張られたウズの結界
私はさらに尋ねた。
「勝守さんと勝村、勝頼とはどんな関係なのですか」
「勝村、勝頼とは血のつながらない兄弟。
ここには祖母に集められし者たちがいた。
それなりの能力があって、夢枕に立つもの、夢を見るもの、少し人とは違った力を持つ者たちが集まった。
ある時には親が我が子を持て余しながら、祖母の下に連れてきたこともあった。
祖母はそれらを我が子とした。
私は完全なる、祖母の嫁いだ井田家の子孫。勝村、勝頼と血は繋がっていない。
勝(かつ)は祖母からその名前をいただいた。
名前をよく見ればわかる」
「おばあさんの名前は何というのですか」
「わが母の名前がオバさま。祖母の名前はカタカナでカツノ。
この戦乱の世、この土地は位置的に他所から入る者が多い上、はやい話、我欲のため奪う者がいる。
そこで祖母のカツノが勝という字になった。
守りは雲々(のように広く)頼られる人に、頼られ頼られることが勝つ、そういう意味がある。
自分たちの血筋や家柄とか、そういうことにこだわることなく、我らが三人兄弟のように育てられた。それは血のつながりを超えた。
これからの世は血のつながりではなく、同じことを夢見、同じ意志、同じ志を持ち、そういう者たちが兄弟として契りを交わす。
そういう世の中になっていく。
またなっていくことを願った祖母がわれらを兄弟として育て教え、その後、ここにまるで兄弟のように祀られた。
ただ三人が共に永遠に一緒にいる事はなく、各々が他の地に行かされた。意志を取り継ぐため、それぞれの家に分かれた。
なぜ別れたか。その場所三つ、ここと勝頼そして勝村の3点を線で結んでみよ。意味がわかる。
それとその3点と福津市の宮地岳を結んで見よ。その中に何があるか。
交流そしてその3点を結んだ中心と宮地岳の線上」
血は繋がっていなくても、三人は兄弟のようにここで育てられたという。
霊能力の高い祖母のカツノのカツから三人は名前を貰った。
カツが、時代的に勝となった。
後で思い出したが、勝村、勝頼の母は谷殿という。
谷殿は福津市の宮地嶽神社の境内の谷で洗濯中に殺されている。
その後、葛子は幼い我が子を飯塚の井田家に預け、同じ年代の勝守と三兄弟のように育てられたということのようだ。
そして、三人が分かれ住むようになったが、その三ヶ所に意味があると言い出した。
このままでは、三点の意味が分からないので、そこに注目して尋ねることにした。
「勝頼はどこですか。三点とはどっちなのですか」
「一つは行橋。勝頼は行橋。勝村は筑紫」
「筑紫と行橋、そしてここの三点の中央にまだ何かがあると言うことですか」
「それと宮地嶽、要はその中心と宮地嶽、宮地嶽を守るように螺旋状に神社が8本」
「まずは見つけなきゃいけないのは、こことそれから行橋と筑紫なんですね。筑紫はかなり広いんですけど。筑紫は筑前、筑後に分かれました。北と南、どっちですか」
「神社の社号に、青の文字を含む文字。青の色の文字のついた神社。下には石に氏の字がついた漢字」
「朝倉市に砥上神社がありますが」
「…」
「それではないんですね。唐津には青幡神社があるけど、それでもないですね。それは筑紫野市ですか」
「筑後の方。それを出してほしいと言う思いは、さほどない。その形は素晴らしかったが。
ただそうやって神おろしをする者が今の時代にもおり、それについて心、魂を揺さぶられる者もいる。
私の時代もそうであった。そういう動くべき者が、やるべき物事をするだけ。するのみである。
だからそなたがもし私のことが気になり、この謎を解きたいというのでもあれば、私が出した場所、そこを教えるのは簡単なことではあるが、それを教えればそこに至るまでのソナタが飽き過ぎるだろう。
肉付けというのは人に伝えることにおいてはとても大事なこと。
ただ願いが未消化のままで逝った者たちが、このように戻り、力のある者や関係のある者たちの力付けとなって、その者たちを動かすようになっておる。
そして心のまま行けば問題はないが、幾年、何百年何千年という時代、時を経て、人間というのは思い通りにいかないのが人間である。
ただ先人の者たちはすべてその願いを持ち祈りつつ、そなたらを見ていることであろう」
想像もつかない話になった。
勝頼は行橋市へ、勝村は筑後地方に行ってそこを治めたらしい。
勝守は飯塚市に残った。その三人の住まいは結界を張る基準の三点となったらしい。
そして、それぞれに宮地嶽神社とも関わり、三点の中央から螺旋状に九州に結界を張ったという。
筑後地方の神社のヒントは青の字が含まれる漢字と、石へんに氏の字の漢字。
青峰とか、頭に浮かんだが、それとも違うのだろう。
福津市の宮地嶽神社の真南に宮地嶽神社が鳥栖市と久留米市に二社あり、併せて三つの宮地嶽神社が完璧な一直線を描いていることは、皆の協力で明らかになっている。
また、ここ飯塚市の宮地嶽神社の真北には鞍橋神社、熱田神社が並び、鞍橋神社の真東に劔神社があることをチェリーが発見している。
これは『季刊邪馬台国』の次号に載せる画像で、チェリーに作成してもらったものだ。鞍橋神社は、山の上にある神社で、昨年だったか、お掃除参拝をした所だ。
剣岳、六ケ岳、勝守山を繋いでいる。
このラインは内心「国造ライン」と呼びたかったが、勝守が分からないと、そう呼ぶわけにはいかないと思って、モヤモヤしていた。
意外な事にこのラインは勝守の言う、三点と関わるラインになっているようだ。
そして、螺旋と言えば、古月(ふるつき)が発見した鞍手のフィボナッチラインを思い出した。
劔神社の上方、六ケ岳の中から出ている螺旋のライン。
これは「脇巫女」の時に出て来た。
一度造られたラインが、地震のためにずれたが、再度引き直されていると、古月は言っていた。これが、その一部なのだろうか。
あれは伏線で、ここに回収される?
三点を中心として九州全体に八の神社で張り巡らされた結界。
崋山は後で、自然石を見て「こんな形のも、ある」と言った。
それは磐座だけで、神社としては成立していないかもしれない。
この話を出しながら、勝守はこれを世に出したいという思いはさほど無いと言う。
ただ、この話に加わることで、心や魂が揺さぶられる者が出て来るのだという。
おそらく、九州のラセンの結界を造った者や、思いがある者が転生しているのだろう。
そして、私には「ヒントを与えれば動くだろう」と、私の性格を知って言っているのだ。
答えを教えてしまったら、私が「つまらない」と思うだろうとも。
しかし、この話を聞きながら、私はあまり熱くならなかった。
もう、心に決めていた。
ブログの読者に探してもらおう。
もう、一人ではどうにもならない範囲なのだ。
私はこの一連のシリーズに「ウズ」渦と名付けた。
渦の結界を皆に探してもらおうという魂胆だ。
さて、話を戻そう。
勝守は話を続けた。
「眠りから覚め、様々な心持ちを思い出した。
私はその祖母の話、そして勝頼、勝村の話をしたが、当時なすべきことをしたまでのこと。
ただこうやって我が場所にはその後も見た通り、時より人が訪れて便りをする。
それは、それが私のやすらぎでもある」
やはり、神社で手を合わせる姿を神々は見ているようだ。
そして、人だけではなく、神だけでもなく、この日本は神と人で成り立っている。
それを伝えるために、結界探しをせよ、そんなメッセージだとも受け止られた。
<20221014>
つづく
熱田神社から真南に進むと、鞍橋神社の15m程西を通過します。そのまま六ヶ岳を登って、「羽衣の峰」の10mほど東を通過します。そして、「出穂の峰」の真上を通過します。羽衣と出穂の間に設定したのが「グランドクロス」でした。
そのまま真南に進むと、勝盛公園を通過するわけです。宮地嶽神社の80mほど西になります。ここまで15km弱です。
実はもっと南に直線を延ばすことができて、大将陣山の頂上の7mほど西に至ります。この山が、英彦山北岳から300.0°(真北を0°として時計回り)の位置にあって、更に、冬至の太陽が、北岳から昇ります。
それから、宮地嶽神社は、田川=伊田の風治八幡宮と東西関係になります。宮地嶽神社が遠賀川の西岸、風治八幡宮が彦山川の西岸であることから、何か意味があるかもしれません。宮地嶽神社すぐ近くの嚢祖八幡宮と、田川の白鳥神社隣の成道寺も、東西関係になります。
劔神社がある直方というのは、新入のことです。
池も山もおそらく炭坑の地盤沈下の補填のために削られたのではないかと想像しています。
それが大正時代のことで、山を削ったため、ピークが80m東に移ったと想定しています。
井田と聞いて、私も伊田を想定しました。安曇関係ですね。
いつもありがとうございます。